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エーテル理論 | 光の粒子、波動説 | |
不可量流体 | 弾性固体エーテル | |
静止エーテル | 電気、磁気エーテル | |
エーテルと場の理論 | エーテル仮説の追放 | |
ニュートンのエーテル |
4、エーテル理論の変遷 |
宇宙には、何か得体の知れないものが充満しており、その中に大地(地球)が浮かんでいるのだという考えは、古代ギリシャのアナクシマンドロスの時代(前600年)頃から存在した。彼はそれをアペイロン(形をもたない無限なるもの)と呼んでいる。 |
4、1 ヨーロッパ近世(18,19世紀)のエーテル理論 |
時は流れ、17世紀になるとヨーロッパでは、このエーテル理論が華々しく展開されていく。まず、鏑矢を放ったのはデカルト(1650年頃)である。彼は、宇宙は感覚では捉えられない微細物質が充満し、各天体のまわりには渦動があるという「渦動仮説」を提唱する。そして空虚な空間は無く、物体同士の遠隔作用(離れた物体同士が、間に何も無くとも力を伝えることが可能であるという作用)は認めず、この微細物質により力が伝達されるという近接作用を説く。地球表面の物が落下する現象に対しては、この微細物質が地球の周りを渦回転しているためだと言う。更に、微細な要素は宇宙のどこにでも満たされているのだから、光はこの物質を媒介として伝播していると解く。又、微細物質は無限分割され引力も重力も持たず、全ての運動は微細物質の衝突作用に依るものである、という機械論を展開する。機械論者の帰結は、<全宇宙における物質の量と運動の量は不変に維持される>というものであった。更にデカルトは、物体の運動に関しては直線運動が第一であり、円運動は第二であるとも述べている。その理由として、物体は何の力も作用しないときは、必ず直線運動を継続するが、円運動や曲線運動は外部から求心力のような何らかの力が作用しなければ起こらない現象であるという。これはアリストテレスの<円運動が先で、直線運動が後である>という言葉に真っ向から対立しており、大いに注目すべき点である。 |
4、1、1 光の粒子説と波動説 |
デカルトやガサンデイの放った鏑矢は、半世紀後のニュートンの時代になると、燃えひろがるように展開されていく。 |
4、1、2 不可量流体 |
上記のように、ニュートンの時代において、幾人かの科学者が光の波動説を主張していたが、ニュートンの威光を背景にしたニュートン派の粒子説は、揺らぐことなくその後100年以上にわたり支配的地位を維持する。この時期に於いてエーテルに関しては不可量流体(重さを持たない粒子)という新たな概念が生まれる。その当時知られていた光、熱、燃焼、電気、磁気などの様々な自然現象を物理的に尤もらしく説明するには、このような仮説が必要だったのである。例えば電気、磁気に対しては二つの流体、燃焼にはフロジストン(燃素)の流体、熱流体にはカロリック(熱素)という具合に複数のエーテル流体が考えられていた。なかにはこれ等の流体を複合して説明する科学者もあらわれた。しかしどの理論もその実態はなく、定性的、思弁的な議論の枠を超えることは出来なかった。 |
4、1、3 弾性固体エーテル |
一方、不可量流体に対する批判も生まれた。ラムフォード伯は、大砲のなかぐり作業の実験を繰り返し、回転機の摩擦熱がほぼ無限に生ずることから、これまで熱素と呼ばれたものは、物的実態であることはありえない、回転機の運動が大砲の熱源であると主張する。そして熱素の不可量流体説を否定し、熱の根源は微粒子の運動であると結論する。 |
4、1、4 静止エーテル |
一方、光速度の測定はレーメルが木星の衛星レオの食の観測から求めたが、その精度は満足できるものではなかった。その後1728年にブラッドレーが、地球の公転軌道に対し垂直にある恒星の視差を観測している際、3月の地球の位置と9月とでは、その恒星と直角をなすため視差は生じないはずであると考えた。しかし観測結果は角度で約40秒も方向がずれることに気付く。この現象を説明するには3月と9月では地球の公転方向が反対方向に移動しており、光の伝達にも時間を要するためであると結論付ける。そしてその当時、既に地球の公転速度は正確に観測されていたので、そこから光速は約30万km/秒という極めて正確な値を算出する。この現象を光行差と名付ける。 |
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4、1、5 電気、磁気エーテル |
電気と磁気に対しては、1800年前後にはそれぞれ別の力として取り扱われていた。電気の作用を研究する者の多くは、エーテル媒質の物理的基礎を論じた。また電気と磁気の間には、何らかの関係が存在するのではないかという考えも広く認められていた。 |
4、1、6 エーテルと場の理論 |
マクスウエル(1831〜1879)は、ファラデーやケルビンの考えをさらに進展させていく。まず磁場内に閉回路を置き、磁場の強さを変化させた際、電場が生じ閉回路に電流が誘導されるというファラデーの法則に対し、その逆もありえるのではないかと考えた。即ち磁場の変化に対し電場が変化するなら、電場の変化に対し磁場も変化し、その結果空間中に電流も生ずるだろうという。そのような空間内に生じた電流を変位電流と呼び、この変位電流はエーテル内にも生ずるだろうと推論する。このようにして、空間の一箇所に発生した電磁変動が、電場と磁場が互いに誘導をくり返し空間に波動として広がっていく。このような波を電磁波と名付けた。 |
4,1、7 エーテル仮説の追放 |
以上のような様々な理論や発見により、19世紀後半にはエーテルが物理的にも存在することが一般的に認められ始めた。とはいえ、その力学的構造などは依然として不明瞭であり、J.ラーマー(1857〜1942)は「物質はおそらくエーテル中の構造物であろうが、エーテルが物質から成る構造物でないことは明らかである」と述べている。またフレネルは光行差(地球が太陽を回転運動している結果、他の星が見かけ上変位する現象)を光の波動説で説明するさい、エーテル中を地球などの星が移動してもエーテルは決して撹乱されることはないだろうという、静止エーテル説を主張する。しかしストークスはエーテルが粘性を持った弾性固体に似たものと考えていたので、星などの周辺に対してはエーテル微分子が随伴されるだろうと言う。又、マクスウェルは静止エーテル中での地球の運動を実験的に検出するには、光を逆向きに伝播させたときの光速の違いを測定すればよいだろうと述べている。 |
4、2 エーテル仮説の復活 |
以上のように現在ではエーテル仮説が否定され、特殊相対性理論が一般にも支持されているが、歴史的流れとしてはエーテル仮説は正しかったのである。それがマイケルソンの実験結果だけを正当化するためローレンスがその当時の常識では考えられない時間と空間という絶対的概念を変えてしまった。ただし静止エーテルは保持された。そのため電磁理論は維持されたがニュートン力学が駄目になってしまった。 |
4、3 ニュートンのエーテル |
以上述べてきたようにエーテルに関する仮説や解釈は百家争鳴であり、どれが正しくてどれが誤っているのか明確な判断が付けにくい。ただはっきり言えることは、力の近接作用を認めるならば、電磁力、光や熱及び重力などの力の伝達、その速度が同一であることなどを説明するには、微細な媒質すなわちエーテルが、宇宙のあらゆる空間に広がっていると考えるのが妥当であろう。又、200年以上にも亘り、多数の偉人が論戦を繰り広げたエーテル仮説は、少しずつではあるが正しい方向に進んでいたのは確かである。従って、マイケルソンとモーレの実験結果だけを正当化するために、これまで長期に亘り築いてきたエーテル仮説をいとも簡単に放棄してしまうのは、あまりにも軽卒としか思えない。このあたりから、現代物理学は歯車がずれてきてしまったようである。歯車がずれたまま新しい観測事実を正当化しようとするため、益々間違いだらけの科学が構築されてしまっているのである。早く正しい物理の道に軌道修正しなければならない。即ち現代科学には第2章で述べた二つの大きな暗箱(ブラックボックス)が存在し、それを正しく理解しない限り、この問題を解くことは困難なのである。
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