目次、記録 宇宙の真理  再現性の法則 宇宙の大気 大自然の秘密 古代ギリシャ哲学 エーテル仮説 マイケルソンの実験
分割/不分割の問題 熱力学  エントロピー 空洞輻射 プランクの公式 公理系 次元と単位 重力定数の研究
未知なる粒子  プランク単位系  ボルツマン定数  重力 光の転生 電気素量の算出 ボーアの原子理論 光の正体
ビッグバンの困難  相対性理論の誤解  元素の周期律表  一歩進んだ宇宙論 電磁気の歩み 電磁気基礎知識 マクスウェル方程式 電磁波は実在しない
回転軌道の法則  赤方偏移の真実 周期律表の探究  周期律表正しい解釈  真偽まだらな量子力学 波動 宇宙パワー 
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エーテル理論 光の粒子、波動説
不可量流体  弾性固体エーテル 
静止エーテル 電気、磁気エーテル 
エーテルと場の理論  エーテル仮説の追放 
ニュートンのエーテル 

4、エーテル理論の変遷

 宇宙には、何か得体の知れないものが充満しており、その中に大地(地球)が浮かんでいるのだという考えは、古代ギリシャのアナクシマンドロスの時代(前600年)頃から存在した。彼はそれをアペイロン(形をもたない無限なるもの)と呼んでいる。
 パルメデスは、無い物は考える事も出来ない、故に空虚な空間は無いと論じた。しかし、 デモクリトスは宇宙には最小単位の微分子(原子)が存在し、この原子が運動するには空虚な空間が必要で、故に宇宙は、原子と空虚な空間の二要素からなり、同じ資格を有すると言う。それに対し、アリストテレスは四元素説(空気、火、水、土)を認め、第五の元素としてアイテール(アペイロンに似たもの)が存在し、宇宙はアイテールで満たされていると言う。このアイテールが近世におけるエーテルへと進展する。

<<余談>>:
 因みに、エーテルとは英語で「ether」と書き、現代ではイーサーネットの語源として使用されている。

4、1 ヨーロッパ近世(18,19世紀)のエーテル理論

 時は流れ、17世紀になるとヨーロッパでは、このエーテル理論が華々しく展開されていく。まず、鏑矢を放ったのはデカルト(1650年頃)である。彼は、宇宙は感覚では捉えられない微細物質が充満し、各天体のまわりには渦動があるという「渦動仮説」を提唱する。そして空虚な空間は無く、物体同士の遠隔作用(離れた物体同士が、間に何も無くとも力を伝えることが可能であるという作用)は認めず、この微細物質により力が伝達されるという近接作用を説く。地球表面の物が落下する現象に対しては、この微細物質が地球の周りを渦回転しているためだと言う。更に、微細な要素は宇宙のどこにでも満たされているのだから、光はこの物質を媒介として伝播していると解く。又、微細物質は無限分割され引力も重力も持たず、全ての運動は微細物質の衝突作用に依るものである、という機械論を展開する。機械論者の帰結は、<全宇宙における物質の量と運動の量は不変に維持される>というものであった。更にデカルトは、物体の運動に関しては直線運動が第一であり、円運動は第二であるとも述べている。その理由として、物体は何の力も作用しないときは、必ず直線運動を継続するが、円運動や曲線運動は外部から求心力のような何らかの力が作用しなければ起こらない現象であるという。これはアリストテレスの<円運動が先で、直線運動が後である>という言葉に真っ向から対立しており、大いに注目すべき点である。
 一方同時代のガサンデイは、機械論的な思想はデカルトと共通していたが、無限分割は認めず、デモクリトスの原子論を支持していた。そして彼は言う「物質が静止の状態に移るときは,原子の固有の力は失われるのではなく、抑止されるだけである。また物質が運動し始めるときも、力は生みだされるのではなく、その自由を回復するにすぎない。したがって物体のなかには、起源から存在していただけの衝動力が永続的に存在する」。

4、1、1  光の粒子説と波動説

 デカルトやガサンデイの放った鏑矢は、半世紀後のニュートンの時代になると、燃えひろがるように展開されていく。
 ニュートンは、光の放射説及び粒子説を主張(1700年頃)するが、遠隔作用に関しては最後まで懐疑的であった。だがニュートン派と呼ばれるその学徒や信奉者は、遠隔作用を擁護し、その正当性を主張したため当時の思想の主流となる。そしてこの時代においては、近接作用を説くデカルト派と、遠隔作用を説くニュートン派とが激しく対立することになる。又ニュートンは、彼の著した「光学」の疑問の中で、エーテルに関する考えを詳述している。この内容は大変興味深いので、次節で詳しく解読しよう。
*注* 現代ではビッグバン・モデルが主流であり、その信奉者はその正当性を主張しているが、<遠方の星ほど光の赤方偏移が大きくなる>ことを発見した当本人のハッブルは、最後までビッグバン・モデルに懐疑的であったことを決して忘れてはならない。これはニュートンとニュートン派との見解が異なっていたのとよく似ている。
 ニュートンと同時代の研究者には、フック、ホイヘンス、ライプニッツ、オイラー、ベルヌーイ親子など多数の偉人が存在するが、フックやホイヘンス、オイラーなどは光の波動説を支持する。フックはデカルトのいう微細物質を認めるが、全ての物質は熱をもち、絶対に熱の無い寒冷物質は見出せないことから、デカルトの渦運動に代わって、この微細物質は常に振動しているはずであるという振動運動を提唱する。そしてこの微細物質をエーテルと呼ぶようになる。
 フックの振動運動をさらに推し進めたのはホイヘンスである。その当時既に知られていた音波と類推して、光の波動説および縦波説(空気の分子が移動するのではなく、分子の進行方向に対する前後振動―縦波―の運動が伝播する現象)を提唱する。そしてホイヘンスの原理として、素元波、球面波という新概念をもちいる。この原理により、光の反射、屈折を全く正しく説明している。また右上から射した光と左上から射した光を交錯した際、互いに全く妨げ合うことがない事実から、もし光が微粒子だったら互いに衝突してこのような現象が起こらないと解き、光の粒子説を否定し波動説を主張する。しかしニュートンは虹などの色の説明や、色の種類により屈折の角度が異なることを波動説では説明出来ないことから否定する。そして元来、音や水面などの波は障害物があっても、その後ろに回りこむが(今日では回折と呼ぶ)、光は直進しそのような事実がないことから粒子説を主張する。しかし1665年、グリマルデイが光といえども障害物の後ろ側の影の部分に、わずかな縞の明るみが生ずるのを発見。ホイヘンスはそれを根拠に波動説を正当化していく。
 更にホイヘンスはエーテルに関する性質として、この微分子は極度に小さく、非常に硬く、同時に極めて弾性的であると述べている。その理由として、音波の場合は中間に空気や物質体が無いと伝播できない。それと同様、物質(ガラスなど)内部においても光は伝播することから推察して、この光を伝播する微分子は、いかなる物質の内部にも容易に浸透しているはずであると言う。又、鋼(やガラス)で作った同型の球を複数個、接触して直線に並べた列に、同一の球を片側より直線に沿ってある速さで衝突させた際、中間にある球は変化せず、反対側に置かれた球のみが、同じ速さで離れて行く。この時の衝突力が、反対側の球に伝達されるまでの時間は、その鋼体の硬さが大きく、弾力性に富んでいるほど短時間である。即ちより硬く、より弾性的であるほど伝達速度が速いことになる。
 丁度その頃、オーラフ・レーメルが1675年に木星の衛星(レオ)が本体の木星を一周する際、食(太陽と木星と衛星が一直線となり衛星が見えなくなる現象)に入る時期が、地球の公転の位置により、木星と地球の距離が遠く離れているほど遅くなることを観測する。これは光も音と同様速さがあるに違いないと推察し計算した結果、光の速さを音速の約60万倍と算出した(現代では約90万倍)。
 そこからホイヘンスは、光も音と同様速度があると確信し、この光速が非常に速いことから類推し、エーテル媒質の硬さと弾力が極めて大きいという結論を導く。
 又、音を伝播する媒質が空気にほかならないことから、空気を取り除くと音は伝播しなくなるが、光は伝播する。故に真空と呼ばれる空間には、空気とは異なる物質(エーテル)が存在するとしか考えられない。このエーテルは、無限の宇宙空間、物質微分子の内部の空間にも充満し、重さを持たず、したがって重力の法則には従わないと結論する。

 一方オイラー(1707〜1783)は、ニュートン派の粒子説を激しく非難し、エーテルとは空気のような流動体で、惑星などの星がエーテル中を貫通する際、まったく抵抗が無いことから憶測して、空気とは比較にならないほど微細で希薄に違いないと考えていた。またそれは、いかなる空間にも広がり、高い天空、空気中、物質内部にまで浸透しているであろうと言う。更に音と光とを類推し、鐘を打つと音が周囲一体、遠方まで響き、これは空気の振動が伝播したのであって、鐘から物質的なものが出たのではない。したがって太陽から来る光も同様に、物質的なものが飛来してくるのではなく、エーテルの振動に因るものであると解く。光の色の説明に対しては、琴やギターのような張った弦と比較し、音の高低が弦の長さに比例し、空気の振動数で決まるように、光の色もエーテルの振動数により決まるのであり、ある振動数の波が我々の眼に達した時、その振動数にあたる色として感じるのであると言う。この時代において、オイラーはかなり正しい見解に到達していた。
 1669年、バルトリンは光の複屈折という現象を発見する。これは方解石を通して見た物体が二重に映る現象である。この事実をホイヘンスは、方解石の中を光が通過するさい光波が二つの異なった速度で広がるためだと説明している。しかしニュートンは、音波は進行方向に対し、前後運動の振動だけである。もし光も波であるなら複屈折のような、進行方向に対し垂直で平面的(左右上下)な振動は起こり得ないと、光の波動説を否定する。

4、1、2 不可量流体 

 上記のように、ニュートンの時代において、幾人かの科学者が光の波動説を主張していたが、ニュートンの威光を背景にしたニュートン派の粒子説は、揺らぐことなくその後100年以上にわたり支配的地位を維持する。この時期に於いてエーテルに関しては不可量流体(重さを持たない粒子)という新たな概念が生まれる。その当時知られていた光、熱、燃焼、電気、磁気などの様々な自然現象を物理的に尤もらしく説明するには、このような仮説が必要だったのである。例えば電気、磁気に対しては二つの流体、燃焼にはフロジストン(燃素)の流体、熱流体にはカロリック(熱素)という具合に複数のエーテル流体が考えられていた。なかにはこれ等の流体を複合して説明する科学者もあらわれた。しかしどの理論もその実態はなく、定性的、思弁的な議論の枠を超えることは出来なかった。
 ラプラス(1749〜1827)は、そのような状態から抜け出すためには、粒子間力と複数の不可量流体との関係を統一化し、数学的に明確化する必要があると考えた。ラプラスの目論みは、一つはこれまでの定性的、思弁的理論より抜け出し、精密な実験とニュートン力学を基礎とした物理理論から、物理量の大きさを数値的に求め、定量化していく事であった。いま一つは、これまで別々に議論されていた光、力、熱、電気、磁気といった現象を、それぞれの間に橋を架け、それらを一つに統合することであった。ラプラスはこのような大きな目標を掲げたが、期待したほど良い成果を得るまでには至らなかった。この時代に於いては、まだその観測技術や実験事実が乏しく、統一理論を確立するには時期尚早だったと思える。

4、1、3 弾性固体エーテル 

 一方、不可量流体に対する批判も生まれた。ラムフォード伯は、大砲のなかぐり作業の実験を繰り返し、回転機の摩擦熱がほぼ無限に生ずることから、これまで熱素と呼ばれたものは、物的実態であることはありえない、回転機の運動が大砲の熱源であると主張する。そして熱素の不可量流体説を否定し、熱の根源は微粒子の運動であると結論する。
 また、ヤングは光が粒子であるなら各粒子の速度が異なるはずで、現実には光の速度は媒質が同じなら一定である。光が波であるなら音波と同様、光波の速度も一定であってなんら不思議ではないとして、光の粒子説を否定する。更に、一点の光源からでた光が、二つのスリットを持つ障害版を通って、さらに先のスクリーン上に干渉縞が生ずる現象実験―ヤングの干渉実験―から、これは水面の波や音の波は、複数の波が重なった際、高い波同士のときは強めあうが、高い波と低い波のときは打ち消し合うのと同様、光が波と考えれば十分説明が出来ると解く。そして障害版とスクリーンの距離および干渉縞の間隔などから、光の波長の数値を求めるのに成功する。これにより光の粒子説は少しずつ衰えていく。
 しかし1807年、マリュスは光粒子の偏り説を提唱する。彼は粒子説を認めていたので、方解石を通して見た物体が二重に映る複屈折の現象を説明するには、光の粒子が完全な球形ではなく方向を持つためで、異なった方向をもつ二つの光粒子が異なった屈折をするためであるという。そして彼は光粒子のもつこのような特性を、光の偏り(偏光)と名付けた。マリュスはニュートン派の粒子説を指示していたので、以上のことを理由に波動説を否定する。偏光の理由を波動説では、説明出来なかったため、波動説論者は再び苦境にたたされた。 偏光の理由を波動説の縦波で説明するのは困難であったのである。
 そこでフレネルはヤングに相談し、光波は強く張った弦の振動のようなものではないかという、光の横波説を提唱する。横波であるなら弦を上下に弾けば上下に振動し、左右に弾けば左右に振動する。光が複数の方向の混合波と考えれば、方解石の結晶構造に則した光線(常光線)は通常に進み、ずれた光線(異常光線)は屈折するため、複屈折が生ずる理由を説明できる。
 弾性体の内部には縦波と横波が存在することが、当時既に知られていたので、フレネルは、光は弾性固体エーテル内部の横波に相違ないと結論ずける。このことにより、これまで知られていた光に関する様々な現象の正当化に成功し、光の波動説を確固たるものとする。
 しかし、エーテルを弾性固体と考えた際の、疑問も幾つか生ずる。例えば、弾性体内部には、必ず縦波と横波が生ずるが、複屈折を説明するには、全て横波であって縦波であることはありえない。即ちエーテル弾性固体内部には縦波は存在しないということになる。また、このような弾性固体内部を惑星や彗星のような物質体が移動運動しているのも奇妙なものである。このような疑問に対しては、現在でも正しく解明されていない。
 フレネルの提唱した弾性固体エーテルに関する力学的性質の研究がこの頃より始まる。
 コーシ(1789〜1857)は、弾性固体エーテルを前提として、光の横波に関する数学的理論を展開したが、固体エーテルの分子構造に対する根拠付けが薄く、明晰化するまでには至らなかった。 またマッカラー(1809〜1847)は、エーテルの弾性はエーテル微要素の変形や圧縮に依るものではなく、 回転弾性に依るものであるとし、その力学的モデルを構築する。しかし、その根拠が十分でないことも、彼自身が認めている。この回転弾性エーテルという考えが、後のマクスウエルの電磁理論につながる。
 ストークス(1819〜1903)は、光の伝播に対しエーテルの分子構造的な仮説は用いず、エーテルが光波に対しては、弾性固体として振舞うが、地球や物質体に対しては、流体のように振舞うように見えることから彼は、エーテルとは水とニカワからなるゼリーのようなものではないかとし、その力学的分子構造に関する説明は回避した。
 以上のように光エーテルに対する様々な憶測や理論が展開されたが、依然としてその実態は明確化されることがなかった。

4、1、4 静止エーテル 

 一方、光速度の測定はレーメルが木星の衛星レオの食の観測から求めたが、その精度は満足できるものではなかった。その後1728年にブラッドレーが、地球の公転軌道に対し垂直にある恒星の視差を観測している際、3月の地球の位置と9月とでは、その恒星と直角をなすため視差は生じないはずであると考えた。しかし観測結果は角度で約40秒も方向がずれることに気付く。この現象を説明するには3月と9月では地球の公転方向が反対方向に移動しており、光の伝達にも時間を要するためであると結論付ける。そしてその当時、既に地球の公転速度は正確に観測されていたので、そこから光速は約30万km/秒という極めて正確な値を算出する。この現象を光行差と名付ける。
 図について説明すると、左図に於いて恒星から来る光線は地球上に軌道に対し直角に降り注ぐとする。右図に於いて、現在点Aには光線Aが降り注ぐ。この時光線Bはb点にあり、光線Cはc点にある。1秒後には地球はBの位置にあり、光線Bが降り注ぐ。2秒後にはCの位置にあり、光線Cが降り注ぐ。従って実際は恒星が真上に位置するにも拘わらず、角度θだけ傾いて観測される。地球の速度が正確に分かっていれば、この角度θを測定することで、光速を算出できる。




 ブラッドレーは、この光行差の現象を光の粒子説に基ずいて行った。しかし、ヤングとフレネルは光の波動論者だったので、この光行差の現象に対し、エーテルは空間に対し絶対静止でなければならないという理論を展開する。即ち波動論からすれば、光はエーテルの振動が伝播するのであるから、光行差を説明するには光の進行と地球の移動とは全く独立でなければならない。故に、静止エーテル中を光が伝播し、その中を地球が移動するのであると解く。  この説からすると、恒星から来る光線に対し、3月と9月では地球は反対方向に移動してるのであるから、光の速度に変化が生じ屈折の仕方に相異が生ずるはずである。1810年、アラゴーはこの屈折の相異を調べる実験を行ったが、屈折に変化は見られなかった。これは波動論者にとっては極めて不利な証拠である。フレネルはそこで、物質(ガラスなど)内部ではエーテルが引きずられるためであろうと説く。これがフレネルの随伴説である。

4、1、5 電気、磁気エーテル 

  電気と磁気に対しては、1800年前後にはそれぞれ別の力として取り扱われていた。電気の作用を研究する者の多くは、エーテル媒質の物理的基礎を論じた。また電気と磁気の間には、何らかの関係が存在するのではないかという考えも広く認められていた。
 そのような世情を背景に、エルステッド(1777〜1851)は、1820年に電流の磁気作用を発見する。直線に引かれた導線に電気を流した際、磁針を真上に置いたとき、針は導線とは直角に右向きに振れるが、真下に置いたときは、逆向きに振れる現象を発見、そこから、導線内を通過する電気力が、導線のまわりの空間に対し、円環状の磁気力を作り出すのだと推論した。この発見をきっかけとして電気、磁気に対する別々の力は一転し、「自然界の諸力は根底において一つである」という従来から用いられていた根強い言葉が浮上してくる。
 アンペール(1775〜1836)は、二本の導線に電気を流した際、互いに作用しあうことを証明し、エーテルは正の電気流体と負の電気流体から成っており、光はそれぞれの流体の振動により、電磁力は流体の乱れにより発生するのであると主張した。そして光エーテルと電磁エーテルという概念が一般的に認められることになる。
 更に1831年にファラデー(1791〜1867)は、電磁誘導を発見する。 導線が巻かれた二つのコイルを、多少間隔をおいて平行に置き、片方のコイルに電流を流すと、もう一方のコイルにも電流が生ずる。また四角くループ状に閉じた導線を磁場内に磁場とは垂直におき、更に導線の一辺をスライダーとして左右に移動できるようにしておく。スライダーを右に移動しループの面積を増加すると導線内に電流が生ずる。逆に左に移動しループの面積を減少させると導線内に先ほどとは逆向きの電流が生ずる。またスライダーは停止したまま、磁場の強さを増すと導線内に電流が生じ、減らすと逆向きの電流が生ずる。ループ内の磁場に変化が無いとき電流は生じない、即ち電流及び磁場に変化が起きたときのみ電磁誘導が生ずる。 以上のような現象を説明するためファラデーは次のように考えた。
 導線内の電流の強さが一定のときは周囲の磁場も一定である。電流の強さを変化させると周囲の磁場の強さも変化する、その時同時に磁場の変化を打ち消す方向に周囲に電場が生ずる。その生じた電場により第2の導線内の電荷が移動し電流が生ずるのである。
 一方、化学の分野ではドルトン(1766〜1844)が19世紀初頭に原子論を提唱し、一般的に原子の存在が認められていた。しかし電子や陽子などの素粒子はまだ発見されておらず、原子の内部構造などに関しては全く知られていなかった。 このような時期にファラデーは、空間中での電気磁気力の伝達に対し、「物質は力から成っている」と言う。力は空間内を連続的に広がっており、その力の中心を物質の中心とみなせば、空間と原子との区別立てをする必要がなくなる。そして彼は、これ等の力が存在する空間を幾何学的に表現するため、電気力線、磁気力線という概念を提唱する。この複数の力線の相互作用により力は伝達されるのであると解く。またファラデーは、光波が磁性を帯びた媒体中を通過する際影響を受けるという事実から、光の媒質と、力線が伝播する媒体は同一のエーテルだと考えた。
 以上のような考えに対し、物理的には空間中にそのような力線が存在するとはとても考えられないという批判もあった。しかし電磁力の関係を幾何学的、定量的に表現するには大変理解しやすく、便利なので現在でも広く使用されている。
そしてW.トムソン(1824〜1907、後のケルビン卿)は、ファラデーの力線の考えに刺激され、物質はエーテル流体中での渦の中心と捉えることも可能かもしれないと考え、渦原子の理論を提唱する。彼は空間を満たすエーテルの連続体を想定し、力の伝達はエーテル中に存在する渦糸に依るものであると推定する。しかし、確実にエーテルが存在するのか、またそれは渦糸の構造をしているのかなどの疑問も残った。

4、1、6 エーテルと場の理論 

 マクスウエル(1831〜1879)は、ファラデーやケルビンの考えをさらに進展させていく。まず磁場内に閉回路を置き、磁場の強さを変化させた際、電場が生じ閉回路に電流が誘導されるというファラデーの法則に対し、その逆もありえるのではないかと考えた。即ち磁場の変化に対し電場が変化するなら、電場の変化に対し磁場も変化し、その結果空間中に電流も生ずるだろうという。そのような空間内に生じた電流を変位電流と呼び、この変位電流はエーテル内にも生ずるだろうと推論する。このようにして、空間の一箇所に発生した電磁変動が、電場と磁場が互いに誘導をくり返し空間に波動として広がっていく。このような波を電磁波と名付けた。
 さらに彼は、電磁場の中でエーテル粒子の物理的なモデルを構築しようと試みる。彼はファラデーの力線の考えとケルビンの渦原子の考えを物理的に表現するため、蜂の巣の形をした細胞上のエーテルを仮定し、電磁気現象を回転する渦の管が詰まった空間を、隣り合う渦管同士が相互作用する結果であると説明し、遊び車粒子のモデルを考案する。しかし、この考えは当面の暫定的な仮説でしかないとも述べている。ところが、この考えに沿って電媒質における電場と磁場のクーロンの法則から変位の速度を計算したところ、媒介常数の積が光波の速度の二乗の比と一致することを発見。そこから光波と電磁気的な現象を伝える媒質は、同一のものに違いないと察し、エーテルが物理的に存在するという確信を強めることとなる。またそこから、光の振動数とは異なった振動数を持つ電磁波なるものが存在するであろうことを暗示している。ただし以上のような推論は、あくまでも絶対空間と絶対時間及び静止エーテルの存在を前提としたものであった。マックスウェル曰く、私の電磁理論を実証するには絶対静止のエーテルを検証する必要がある。
 マクスウエルによる電磁波の予言は、ヘルツ(1857〜1894)により1888年に実験的に証明された。彼は電気的な波(電磁波)を作り出す装置を考案し、その速度が光波と一致することを明らかにした。また電磁波は屈折や偏光も光波と類似性があることも確認し、私の実験的方法はマクスウエルの電磁理論の正当性を証明するものであると主張する。

4,1、7 エーテル仮説の追放 

 以上のような様々な理論や発見により、19世紀後半にはエーテルが物理的にも存在することが一般的に認められ始めた。とはいえ、その力学的構造などは依然として不明瞭であり、J.ラーマー(1857〜1942)は「物質はおそらくエーテル中の構造物であろうが、エーテルが物質から成る構造物でないことは明らかである」と述べている。またフレネルは光行差(地球が太陽を回転運動している結果、他の星が見かけ上変位する現象)を光の波動説で説明するさい、エーテル中を地球などの星が移動してもエーテルは決して撹乱されることはないだろうという、静止エーテル説を主張する。しかしストークスはエーテルが粘性を持った弾性固体に似たものと考えていたので、星などの周辺に対してはエーテル微分子が随伴されるだろうと言う。又、マクスウェルは静止エーテル中での地球の運動を実験的に検出するには、光を逆向きに伝播させたときの光速の違いを測定すればよいだろうと述べている。
 このような様々な考えのもと、その当時最も一般に認知されていたエーテル・モデルは大体以下のようである。
(1)光や電気力、磁気力及び熱を伝える媒質は同一のエーテルである。
(2)エーテルは物質からなる構造物ではない。しかし物質は、エーテルからなる構造物かもしれない。
(3)エーテルは宇宙空間全てに亘り充満しており、微細な物質内部にも浸透している。
(4)弾性固体に類似した特性がある。
(5)光はエーテル媒質を伝播する横波である。
(6)絶対空間に対し、絶対静止している。しかし星の周辺では随伴されるかもしれない。
(7)自然界の諸力は根底において一つである。
 そして1887年、マイケルソンとモーレーの実験が実施される。
 この実験は、太陽の周りを地球が回転している速度が約30キロメートロ/秒であり、光の速度が約30万キロメートル/秒あることから、エーテルが絶対静止と仮定した際、地球上のある一点から発した光に対し進行方向の光と、横方向の光とは同一距離を伝播したとき時間差が生ずるはずであるというものであった。彼らは反射鏡を利用した精密な観測をしたところ、そのような時間差が全く生じないという、驚くべき結果を得た。このことはフレネルの絶対静止エーテルの存在を否定するものである。しかしヘルツは、ストークスの粘性的な弾性エーテルを支持していたので、電磁波まで否定するものではなかった。マイケルソンはこの結果に対して、静止エーテルの仮説は間違いであり、エーテル中を地球が通過する際、エーテルは随伴されるという説を採用した。
 しかしローレンツ(1853〜1928)は、静止エーテル説から抜けることはできなかったので、この実験結果に対しローレンツ短縮仮説(1892年)を提案している。これは運動する慣性系はその進行方向に対し、物体と時間が短縮されるというものである。この仮説により、進行方向の光と横方向の光との振動数のズレが生じなかった理由を説明でき、静止エーテルの存在は確保された。しかし、その副作用としてニュートンの力の法則が、慣性系の速度により異なってきてしまうという奇妙なことが起こる。
 一方、アインシュタインは広大無辺な宇宙において絶対静止、絶対空間に意味があるとは思えなかった。例えばある同一物体を、互いに異なった速度で運動している観測者が見たとき、その物体は異なった速度で運動している。しかし同一の光に関しては、観測者の運動によらず光は常に同じ速度を持つ。そこから彼は、光速こそ不変であると考え、光速度不変の原理を提唱する。そして1905年、特殊相対性理論及び光量子仮説を発表する。 また1900年には、プランク(1858〜1947)がプランクの量子仮説を表明する。これは電磁波の振動数は連続的で無限大、無限小と考えられていたが、エネルギーには最小単位があり、連続的ではなく、飛び飛びの値を持ち、それをエネルギー量子“h・$\nu$”と呼び、その整数倍のみが許されるというものである。
ここで、h:プランク定数、$\nu$:振動数。
 アインシュタインはプランクの量子仮説をさらに進展させる。電磁波の屈折、反射、回折などの現象は、マクスウエルの電磁理論により説明できたが、光電効果(金属に電磁波を照射した際電子が放出され、その際放出された電子の速度が電磁波の振動数のみに比例する現象。)を説明するには、波動説では困難であった。そこで彼は、光の放出と吸収を説明するには、光は粒子であるという光量子仮説を提唱する。これはニュートンの光の粒子説の復活に見え、考え方がかなり類似している。しかし物質と量子エネルギーという根本的相違もある。
 上記のような様々な理由によりアインシュタインは、絶対運動、絶対時間の観念を捨て去り相対性理論を構築する。またエーテルはたんなる見かけ上のものに他ならないとし、エーテル仮説を科学史上から追放してしまう。それ以降エーテルに関する議論はほとんどされなくなる。しかし、当時はローレンツ短縮や相対性理論など、その時代の常識では受け入れ難い概念に対し多数の批判も存在した。だがその後の観測事実などから、現在では相対性理論が主流として公認されている。
 このようにして、今日ではエーテルの存在が否定されているが、近年になって真空中といえども、電場が生じたり消失したり、又強力な電磁波を照射すると、電子と陽電子の対が生成されるなどの奇妙な現象が発見されており、真空は真の無ではなく電子の海ではないかという説も現れる。  更には、物質に重力を持たせる役割をしているフィッグス粒子の海であるという説もある。

4、2 エーテル仮説の復活 

 以上のように現在ではエーテル仮説が否定され、特殊相対性理論が一般にも支持されているが、歴史的流れとしてはエーテル仮説は正しかったのである。それがマイケルソンの実験結果だけを正当化するためローレンスがその当時の常識では考えられない時間と空間という絶対的概念を変えてしまった。ただし静止エーテルは保持された。そのため電磁理論は維持されたがニュートン力学が駄目になってしまった。
 そこでアインシュタインは絶対静止という概念を捨て、「光速度不変の原理」と、「慣性系によらず物理法則は一定」であるという原理を旗印に登場してくる。即ち、これまでx、y、zの3軸を基準としていた座標軸を、光速を基準とする座標軸に置き換えてしまったのである。この手法は単に座標変換をすることで実験結果と合わせただけで物理的実態ではない。古代ギリシャ時代の地球中心説を正当化するため実在するとは思えない周転円や離心円を用いた手法と全く酷似しているのである。
 又、ガリレオは「慣性の法則」というこれまで知られてなかった宇宙の真理を発見し、地球が自転しても真上に投げた物体が元の位置に戻ることを証明した。それと同様、現代科学においても我々のまだ知らない大自然の秘密、宇宙の真理が存在するに違いないという考えは、時間や空間の概念をいじくるよりは極めて自然である。即ち、アインシュタイン以前正しいと公認されていた絶対空間、絶対時間という時空の概念をいじくり回すのはやめて、ガリレオが成し遂げたように、まだ我々の知らない宇宙の真理を探し求めるべきである。
 更にアインシュタインは、これまで光はエーテル媒体を伝播する波であると明晰化されていたものを、光電効果の現象を説明するため光は波でもあり粒子でもあるという曖昧な表現に置き換えてしまった。科学とは曖昧なものを明晰化していくものであり、明らかにそれとは逆行し、非科学的と言わざる負えない。とはいえ屈折や回折現象から光が波であることも認めている。波であるなら水の波であれ、音の波であれ必ず波を伝播する媒体が必要である。したがって光を伝播する媒体がエーテルであるという見解は正しいと結論してよい。しかしそのような矛盾点に関しては相対論者は一切語ろうとせず背を向けたままでエーテルの存在を否定している。
 以上の理由で、宇宙空間にはエーテル媒体が実在すると見なすのは正しい。そしてエーテル仮説は必ず復活するであろうし、させなければならない。さもないと現代科学は永遠に誤った原理に基ずいて理論が構築されるという大きな危険を背負っているのである。


4、3 ニュートンのエーテル 

   以上述べてきたようにエーテルに関する仮説や解釈は百家争鳴であり、どれが正しくてどれが誤っているのか明確な判断が付けにくい。ただはっきり言えることは、力の近接作用を認めるならば、電磁力、光や熱及び重力などの力の伝達、その速度が同一であることなどを説明するには、微細な媒質すなわちエーテルが、宇宙のあらゆる空間に広がっていると考えるのが妥当であろう。又、200年以上にも亘り、多数の偉人が論戦を繰り広げたエーテル仮説は、少しずつではあるが正しい方向に進んでいたのは確かである。従って、マイケルソンとモーレの実験結果だけを正当化するために、これまで長期に亘り築いてきたエーテル仮説をいとも簡単に放棄してしまうのは、あまりにも軽卒としか思えない。このあたりから、現代物理学は歯車がずれてきてしまったようである。歯車がずれたまま新しい観測事実を正当化しようとするため、益々間違いだらけの科学が構築されてしまっているのである。早く正しい物理の道に軌道修正しなければならない。即ち現代科学には第2章で述べた二つの大きな暗箱(ブラックボックス)が存在し、それを正しく理解しない限り、この問題を解くことは困難なのである。
 そこで、数多くあるエーテル仮説の中でも、特に私の興味を惹いたのは、現代では殆んど忘れさられているニュートンのエーテル説である。 ニュートンは、彼の著書「光学」の疑問の箇所で、エーテルに関する考えを複数述べている。しかし彼はエーテルに対し明確な回答を避けている。何故なら、その中で「私はこのエーテルとは、どういうものか分からないのである」と告白している。
 ここでは「光学」に記載された数ある疑問の中でも、本書(エーテル大気理論)の論考を進める上に特に参考となった、重要と思える部分を抜粋し考察することにしよう。
 定義1;光の射線とは、光の最小粒子であって、異なる直線上で同時に存在するばかりでなく、同一直線上で相継いで存在するものとする。
<私見>ニュートンは「光学」の冒頭で、自然現象や実験結果から推論し証明するため、前提として複数の公理や定義を規定している。最初の定義では、光は最も小さい粒子であると明記している。この定義に対し、光の波動論者からは相当強い反論があったであろうことが推察できる。
 疑問1;物体は距離をおいて光に作用し、その作用によって光の射線を曲げるのではないか。この作用は最小の距離において最も強いのではないか。
<私見>彼は光が粒子であると定義していたので、光が物体の側を通過する際、重力を類推し、物体のある方向に曲げられると考えたようである。
 疑問5;物質と光は互いに作用し合うのではないか。すなわち物質は光を放出し、屈折、反射、回折し、光は物質を加熱し、その粒子に熱の本質である振動運動をさせるのではないか。
<私見>彼は熱の本質が、振動運動であることを既に知っていたようである。ラムフォードが実験により熱が運動であることを明らかにしたのは100年以上後である。
 疑問8;全ての不揮発性物質は、加熱させると光を放出して輝くのではないか。この放出は物質粒子の振動によって行われるのではないか。それらの粒子が充分に動揺されるたびに、光を放出するのではないか。
<私見>光の放出は、物質が加熱され内部の物質微分子が激しく振動したとき生ずるのだと言う。この考えは私の考えと完全に一致しており、ただ単に驚きである。ただし本書では、激しい振動とは物質が光速度に達した時であると解き、そのことを論理的、定量的に証明している。またニュートンは光の粒子が放出されるとしているが、本書ではエネルギー量子が放出され宇宙大気中を伝播すると明記しているところが根本的に異なる。
 疑問18;二個の大きいガラス容器に小さな温度計を吊るし、一方は空気を抜き真空とする。容器を冷たい場所から暖かい場所へ移動すると、二つの温度計は殆んど同じくらい速く、同じ温度になるだろう。・・・・・・・。
 熱は空気を抜いたのちも、空気よりはるかに微細な媒質(エーテル)の振動によって伝えられるのではないか。そしてこの媒質の振動により光が物体に熱を伝えるのではないか。またその媒質は光が屈折し、反射、透過の発作を起こさせる媒質と同じではないか。熱い物体の中のこの媒質の振動が、その熱の強さと持続に寄与するのではないか。熱い物体はこの媒質を振動することで、冷たい物体にその熱を伝播するのではないか。
 この媒質は、空気よりはるかに疎で微細で、はるかに弾性的で能動的ではないか。それは容易にすべての物質に浸透し、全天に広がっているのではないか。
<私見>この疑問の解釈は大変難しいのであるが、私は次のように解読した。熱の伝播の実験から、熱を伝える媒質(エーテル)の存在を認め、光の屈折、反射などの現象もこのエーテルであろうと推定していた。熱の伝播は、物質や光の粒子の運動がエーテルの振動を起こし、その振動が空間を満たしているエーテル中を伝わり、離れた物体に振動を与える。
 疑問19;光の屈折は、このエーテル媒質が場所によって密度を異にし、光は常にこの媒質のより密な部分から遠ざかることからおこるのではないか。その密度は、水やガラスなどの緻密な物質の中より、自由な広々とした空間のほうが大きいのではないか。・・・・。
 疑問20;このエーテル媒質は、水やガラス内などの緻密な空間から、真空にちかい広々とした空間に入るとき、次第に密になっており、そのため光の射線を漸次に曲線を描いて曲げるのではないか。・・・・・・・・。
<私見>この19、20では、エーテル媒質が物質分子の多い緻密な空間では密度が薄く、宇宙空間のより広々とした真空にちかい空間ほど濃いのであると言っている。また光は、エーテル媒質が濃い部分から薄い部分に遠ざかるため、即ち空気とガラスの接面においては空気からガラス方向に、屈折が生ずるのではないかとも述べている。
 疑問21;エーテル媒質は、太陽や惑星などの物質が密な本体では、星の間の真空の空間より、はるかに疎なのではないか。星の本体から遠距離に進むにつれ、エーテル媒質は益々密になり、物体はこのエーテルの密な部分から、疎な部分に進もうとする結果、星同士の重力および粒子間の重力を生ずるのではないか。・・・・・。
もしこのエーテル媒質の弾性力が極めて大きいとすれば、それは我々が重力と呼ぶ力だけですべての物体をエーテル媒質の密な部分から疎な部分に押しやるのに十分である。この媒質の弾性力が極めて大きいことは、その振動の速さから推察される。・・・・・・。
<私見>ニュートンが著した「プリンキピア」に於いては、“我、仮説を設けず”として重力の物理的原因はいっさい避け、説明していないが、この疑問21では重力の生ずる物理的原因の仮説をかなり明瞭に述べている。それによると、重力とは物体のもつ引力ではなく、エーテル媒質の密な部分から、疎の部分に押しやる力のことで、その結果引力のように見えるだけであろうと考えていたようである。ニュートン力学誕生の礎にはこの観念が深く根を張っていたのかもしれない。ニュートンはこの時代において既に重力の本質を見抜いていたようである。この考えは、著者の持論である“重力とは、エーテル大気による静止制御力である”(本書10章を参照)という考えと酷似している。ただ異なるところは、著者はその物理的原因を更に明確に、かつ定量的に明晰化している。
 疑問30;粗大な物質と光は互いに転換できるのではないか。・・・・・。私は水ほど発光しにくい物質を知らないが、水は何度も蒸留を行うと不揮発性の土に変わることはボイル氏が試みたとおりである。そうするとこの土は熱に耐えうるので、熱によって発光する。物質から光へ、また光から物質への変化は、転成を喜ぶかに見える自然の過程にふさわしい。
水は熱すると空気である蒸気に変わる。また冷やすと硬い氷となる。・・・・・・。卵は孵って鳥となり、おたまじゃくしは蛙となる。・・・・・・・。このような様々な不思議な転成のなかで、どうして自然が物質を光に、光を物質に変えないことがあろう。
<私見>この時代には、ギリシャ時代のタレスが述べた「水は土に変わる」という現象を信じていたようである。
 又ニュートンは、すでに物質が光に、光が物質に転換することに気付いていたことがこの文章から分かる。しかしこの時代では、まだエネルギーという概念がはっきりしていなかったので、曖昧な範例で説明するに止めている。アインシュタインの方程式:E=mc の先駆けといえる。

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