A、力の衝撃(力積)と保存
力に関する科学的考察の代表的な功績としては、第一にギリシャ時代に活躍したアルキメデスの梃子の原理を上げることができる。更に16世紀に入るとケプラーによる惑星軌道が楕円であることの発見、ガリレオの慣性の概念、デカルトの運動量とその保存、これ等から導きだされたニュートンの力の法則などがあげられる。
デカルトは、物と物が衝突する際の多くの実験を繰り返し、「宇宙における運動の量は常に一定である」と言う。また質量と速度の相乗積は、時間と力の相乗積に等しい。
m・v = f・t 。 なる関係式を導く。これはデカルトの大きな功績である。
ここで、m:質量、v:速度、f:力、t:時間。
そして彼は、この運動量を「力の衝撃」(力積)と呼んだ。
ホイへンスは単振り子の実験から、「任意の物体が重力によって動き出すとき、振り子の高さは運動を始める前の高さより上に行くことは無い」という原理を見出す。更に彼は、二つの同一物体が衝突する際の現象に対し、一方が静止した物体aに、他方の物体bがある速度で衝突した際、衝突後bが静止し、aは同じ速度で運動を始めること、またaとbが異なった速度で衝突した際は、互いに速度を交換することなどから、完全弾性体の衝突において「運動に関する力の総量は変化しない」と総括する。これが後のエネルギー保存則につながる。
ライプニッツはデカルトの運動量に異議を唱え、衝突実験ではなく、落下法則の観点から仕事の量を測定する方法を採用する。物体をある速度で真上に投げ上げた際、上昇する高さは質量と初速度の二乗の相乗積に比例するという結果を得る。そこから彼は、
m・v02 = f・h 。 v0:初速度 、 h:高さ。
を仕事能率の式として提唱する。そして彼は、この質量と速度の二乗の相乗積を「活力」と呼ぶことになる。また「生ける力」と「死せる力」という概念を用いる。これは現代的には、運動エネルギーと位置エネルギーに該当している。
ニュートンは、活力の保存則に関しては殆んど寄与していない。彼はデカルトの保存則を否定し、「物体を起動するための原理と、運動を保つための原理」の二つの原理が必要であると述べているに留まる。保存則に対しては関心が薄かったようで多くは述べていない。
同時代のダーニエル・ベルヌイは言う「物体同士の衝突の際、完全弾性でない時、活力の総和の一部が失われるように見えるのは、その活力が物体内部に閉じ込められるのであって失われるのではない。自然はいかなる場合も、活力の保存が成立する」
B、エネルギーの定式化
デカルトやライプニッツの時代における力の保存則は、力学の分野に限定されていたためその後広くは語られないようになる。しかし熱、電気、磁気、光、重力などの自然界における様々な力の保存、不滅性及び転換という観念は、人々の間に根強く存在していた。
そして仕事に関する観念は、蒸気機関などによる実用的な面から発展していくことになる。
蒸気機関の最初の発明はドニ・パパン(1642〜1712)の蒸気を利用したピストンに由来する。1800年頃には熱機関の働きから、力学的な仕事と熱的な量とが互いに転換することが知られるようになる。そして仕事は力を距離で積分したものであると定義がなされ、これまでの力学に関する活力に代わって、仕事の概念が重要視されてくる。更に、ジュールの法則などから熱と仕事の転換係数である「仕事当量」の概念が設けられ、転換関係の仕事当量を定量的に測定することが可能となる。そのことから自然界の諸力の間の転換において、エネルギー保存の原理が明らかとなってくる。
熱力学の基礎をなす蒸気機関の循環過程の概念はカルノーにより1824年に「火の動力に関する考察」として公表される。
彼の議論は、熱がカロリック(熱素)であるという認識から出発する。そして水が高いところから低い所に流れるように、熱素は高温の所から低温に流れるとき仕事をするのであり、従って温度差がなければ仕事はしない。またシリンダーで内部の空気を圧縮し体積を小さくすると気体の温度が上昇し、逆に体積を膨張すると温度が低くなるという事実、及び外部から熱を供給すると体積が増し、熱を奪うと収縮することなどから、高温と低温の二つの熱源を準備することで、気体の膨張と収縮を行いそこから仕事を取り出すサイクルを示した。このカルノーサイクルでは、熱による動力は二つの熱源の間で一定の熱素が落下することで得られ、その後同量の熱素が低温から高温の熱源に移動することで一サイクルを終えるもので、この循環過程で熱素の保存は維持され可逆的なものであった。しかし彼の議論は、定性的なものに留まり定量的な議論に乏しかったためか、あまり一般には普及されることがなかった。
カルノーサイクルを数学的に定式化し、圧力と体積の関係をグラフ化し熱素が保存されることを明確化したのは、クラペイロン(1834年)の功績である。更にクラペイロンはこのサイクルにおける熱効率は、低温の気体の方が高温の気体よりも良いという熱的性質を明らかにする。このグラフ化が多くの研究者の注目を集め、後のクラウジウスやケルビンなどの研究につながる。
C、エネルギーの保存則
1842年、ローベルト・マイヤー(1814〜1878)は、「熱の仕事当量」に関する論文を公表する。その中で彼は、一定の容積の下で気体の温度を一度上昇するに要した熱量がaであるとき、一定の圧力pの下で一度上昇するには熱量a+bが必要であることを述べ、この加算されたbは、外部になした仕事即ち圧力pと体積が膨張し分銅が移動した距離hとの積で表すことができ、この b=p・h を熱の仕事当量として算出出来ると説明している。この考えが定積比熱、定圧比熱の研究につながる。
カルノーサイクルの場合は動力の原因を高温から低温への熱素の移動に因るとし、その際系全体としての熱の消費は行われないとしたのに対し、マイヤーは仕事が熱に転換されることを示し、仕事に転換した祭、熱が消費することを認めている。この点においてカルノーとは大きな相異がある。
また彼は容器に冷たい水を入れ、その容器を激しく振ると内部の水の温度が上昇することに気がついた。そして彼は言う「一定の重量の物体を落下させたとき、一定の水を1度上昇させるには、どの程度の高さが必要かを測定する必要がある」。即ち熱の量と仕事の量とを測定することで変換の際の当量値を定量的に導きだすことが出来るというのである。
更に彼は運動が熱に変換するには、運動が運動をやめなければならないと言う。これまで実態のない仮説的な「力」という概念を物質と同じように捉えるべきだと考え、力は原因であると捉える。この力は物を動かしたり、温度を上げたりする原因であり、質的に転換したとしてもその量は永久不滅である。例えば静止した物体に上方に力を与えると、運動し上昇する。固定した板の上に乗せると静止する。この場合その物体は上昇に要した力を、潜在的な力として蓄えており(今日で言うポテンシャル・エネルギー)、決して力が消滅したのではないと述べている。
一方同時代に於いて、ジュールもマイヤーと似たような認識に辿りついていた。そして、その考えを量的に測定する実験をくりかえしていた。その最中マイヤーの論文を知ることになる。
ジュールはマイヤーの論文からでは、加えた力学的仕事に対しどの程度の熱量に変化したのか未定であり、またどのような方法で実験したかも述べられていないと批判する。そして消費した仕事量に対し、発生する熱量を精密に測定できる装置を自ら考案し、実験することになる。その結果、1グラムの水を1℃上昇する際に必要とする力学的エネルギーは4.186ジュールという値を得る。
この実験は、力学的な仕事が消費された時には、それと厳密に等しい量の熱が得られることを証明しており、仕事の量と熱の量とは等価であり共に転換可能であることを主張している。そして熱とは運動の一様態であることを示しており、完全に熱素説を否定することになる。ジュールは仕事が熱に転換する際の理論を定式化したのである。
そしてジュールは言う「宇宙に於いて秩序が保たれているのは、諸力の転換と不滅性によるものであって、このことが自然の自己充足性を証明している」。
D、永久機関の否定
ヘルムホルツは質量mの物体が高さhから落下し祭 m・g・hの仕事をし、物体の持つ活力は、1/2(m・v2)であり、それぞれ大きさが等しいことを述べ、前者を張力、後者を活力と呼んだ (g:重力、v:速度)。そして両者の総和は一定不変であるという、力の保存の法則を提唱する。後に張力は位置エネルギー、活力は運動エネルギーと呼ばれる。
しかし電気、運動、熱などの力の転換や保存に関しては、数学的、概念的な曖昧さがあり、力が不滅で転換可能であることは認めつつ、それらが等価であることを意味するものではなかった。
ケルビンはジュールの法則から仕事と熱が等価で共に転換可能であることから、これまで曖昧であった諸力の保存に代わって、各力の転換過程に対しても常に普遍的に存在するエネルギーの保存則を物理学の第一義的な概念にすべきであることを提案する。
そしてエネルギーが静力学と動力学という二つの種類に分けられることを述べる。高い所にある物体、燃える物体、帯電した物体などは静力学的エネルギーを蓄積しており、運動する物体、光や熱が通過している空間などは、動力学的エネルギーを蓄えている。この用語が後にポテンシャル・エネルギーと運動エネルギーに代えられた。
またランキンは、1855年ごろ発表した論文で「エネルギー」という用語に対し、仕事、物体の運動、光、熱、電気、その他、互いに転換可能な同じ単位で測ることの出来る量であると説明する。
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