目次、記録 宇宙の真理  再現性の法則 宇宙の大気 大自然の秘密 古代ギリシャ哲学 エーテル仮説 マイケルソンの実験
分割/不分割の問題 熱力学  エントロピー 空洞輻射 プランクの公式 公理系 次元と単位 重力定数の研究
未知なる粒子  プランク単位系  ボルツマン定数  重力 光の転生 電気素量の算出 ボーアの原子理論 光の正体
ビッグバンの困難  相対性理論の誤解  元素の周期律表  一歩進んだ宇宙論 電磁気の歩み 電磁気基礎知識 マクスウェル方程式 電磁波は実在しない
回転軌道の法則  赤方偏移の真実 周期律表の探究  周期律表正しい解釈  真偽まだらな量子力学 波動 宇宙パワー 
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光速度の測定 科学的とは
公理系 ユークリッド原論
観測、実験証明、三段論法
仮説的推論 検証

7、明晰化 

   我々が日常使用する言葉には曖昧な言葉が多く、揉め事が絶えない。多い・少ない、速い・遅い、長期・中期・短期などは、対象とする物や事象により各個人の判断基準も異なり、誤解を招きやすい。例えば、大学教授やタレントの講演会を開催する際、場所と時を告知する欄に{場所:XX大学構内、講演日:Y月Z日}だけしか記されてない場合、構内で道を迷ったり、時間に遅れたりし問題も生じやすい。そこで{場所:XX大学内のB館301教室、講演日時:Y月Z日午前10時から12時}と記してあるほうがより親切だし、明確で過ちも防げる。
 このように、曖昧ではっきりしない事柄を、誰でも共通の認識のもと、理解できる文章や、数値、数式などを用いて少しでも分かり易く、明瞭にしていくことを明晰化または明確化するという。自然科学においては、特にこの明晰化することが非常に重要である。その手段として科学的には一般に、数値化する方法や証明による方法などが用いられる。
 それでは我々は、どのような内容に対し、科学的に明晰化されたと感じるのか、又まだ明晰化されてないと感じるのだろうか。次に歴史的な実例をもって調べてみよう。

7、1 光速度の明晰化 

   光の速度はそれがあまりにも速いため、測定するのは極めて困難であった。したがって、ガリレオの時代には光の伝播には時間を要さないのではないかと考えられていた。その後、多くの研究者が光速の観測を試みることとなり、徐々にその実態が明らかとなって来る。ここでは歴史的な順を追って段階的に分類してみよう。
(1)光の伝播には時間を要さないか。
 ガリレオは光と雖もその伝播には時間を要すると考え、次のような実験を行う。
 8キロくらい離れた山頂で、提灯(ライト)を持った二人の者が別々の山頂に立つ。空気の澄んだ夜間に、片方に立った者(A)がライトを点灯する。別の山頂に立った者(B)は光を見ると同時にライトを点灯する。A側ではBの放った光を感知すると同時に、Aが点灯した時とBの光を感知した時の時間差を測定する。この時間差から光の速度を測定できると考えた。 しかし、実験は失敗に終わり、光速を測定することは出来なかった。
* この段階では、光の伝播に時間を要するか、要さないかの疑問に対し明晰化することは出来なかったといえる。
(2)オーラフ・レーメルの観測
 デンマークの数学者レーメルは、木星の衛星イオが太陽と木星とイオが一直線に並び、一度消え又現れる際、季節により時間差があるのに気付いた。そしてこの現象は光にも速度があると考え観測した結果、光の速度が大よそ音波の60万倍であることを測定する(現代では90万倍)。
* この観測により、光の伝播に時間を要することは明晰化される。
* 光速の数値に関しては、当時の観測精度は十分ではなく、あまり明晰化されたとはいえない。
(3)回転歯車と平面鏡による測定
  地上で光の速さを測定したのはフィゾウとフーコーであった。フィゾウは、ガリレオと同様8キロくらい隔てた山頂の片方に反射鏡を置き、もう一方に回転歯車を置き高速で回転させながら光を放つ。反射鏡により戻ってきた光が、次の歯車で遮られたときの回転速度から、往復に要した時間を測定し光速を算出する(1849年)。この実験から光速が30万キロメートルであることをもとめる。
 フーコーは回転鏡と反射鏡を用いて、室内での測定に成功する。回転鏡と反射鏡を20メートルくらい隔てて置き、高速回転している回転鏡に光を放ち、反射した光が反射鏡に当たり、反射され回転鏡に戻ってくる。そのわずかな時間に回転鏡は回転しているため、戻ってきた光は、光を放った位置から少しだけずれることになる。そこから光速を算出する。この方法により、何度実験を繰り返しても同一の光速値を得ることが出来た。
* 上記の測定結果から光速の数値に関しては、ほとんど明晰化されたと言ってよいだろう。
(4)マイケルソン、モーレの実験
 上記(3)の測定によりほとんどの人が、あとは精度を向上するだけで光の伝播の速度に関しては明晰化されたと感じたのではないだろうか。しかし世の中には猜疑心の強い人、へそ曲がりの人、なかなか満足しない人など様々な人がいる。特に学者や研究者の中には、あらゆる視点、論点から観察、推論し、総合的に一貫性があり矛盾も見当たらないようでなければその正当性を認めない、大変慎重で堅実な人も少なくない。 そのような人は、光速に対しても次のような疑問を持つ。
 上記の測定は、大地が静止していると仮定したときの数値である。しかし実際には地球は太陽の周りを秒速30キロメートルで公転している。故に光速は、地球の公転に対し前方向と横方向では違った値になるのではないか。然るに光速はまだ完全に明晰化されたとはいえない。
 そこでマイケルソンとモーレは、同時に発した前方向と横方向の光が反射鏡により戻ってきた際の時間差(波長の位相差)を測定する実験を行う。その結果は、驚くべきことに全く時間差は生じないというものであった。即ち、光源から発した光は、公転方向に発して鏡に反射され戻ってきた光の走行距離は、横方向に発し鏡で反射され戻ってきた光の走行距離より短いのであるから、同一の光が戻って来たとき時間差が生じているはずである。にもかかわらず時間差が生じなかったということはどういうことであろうか。
(5)光速度不変の原理
この事実をどのように解釈すべきか、ローレンツは次のように説明する。彼は絶対静止のエーテルに対し光速は方向によらず一定で不変に維持されるという考えを指示していたので、上記の実験結果を説明するため”運動する物体は進行方向に対し収縮する”という、ローレンツの収縮説を提唱する。即ち、静止した系に対し、等速運動している系では、棒の長さは収縮されるのであると解く。
 他方アインシュタインは、絶対空間、絶対時間及び静止エーテルは用いずに光速度不変の原理を提唱する。(詳細は14章:相対性理論を参照)これは等速運動をしている系では、その速度によらず光速はどの方角に対しても一定でなければならない。これを特殊相対性理論と呼ぶ。
 ローレンツ収縮でも光速度不変の原理でも、上記の実験結果をうまく説明できるのであるが、ローレンツ短縮ではニュートン力学が成立しないので、現代では絶対空間やエーテルを用いない特殊相対性理論が正しいと一般的には解されている。しかし、これらの理論も明晰化されたとは言えず、光に関する謎はますます深まって来たとみなすべきである。
 本論考では、12章:光の正体、で詳しく説明する。 

 以上のように、物理的に明晰化されるまでには、気が遠くなるような歳月と数多くの観測事実や論戦が繰り返えされ、時代を越えたバトン・タッチのように、少しずつ段階的に一歩一歩明瞭化されてきたことが分かる。又明晰化されたかどうかの判断基準に対しても、すぐ満足するタイプ、思慮深いタイプなどの個人差により異なり、一概には決められない。また、新しい観測結果などが現れると新たな謎が浮上してきて明晰されたかどうかも疑問視される。
(6) 個人差による判断の相異  
 人は皆生まれた時の環境も異なり、知人も違うし、受けた教育や目標も異なるため、同じ自然現象や社会事象に対し、異なった解釈や判断を下すことになる。特に物理学の基礎理論においては、同一の事象に対し正しい判断を下した場合と誤った判断を下した場合とでは、それを基礎として構築された理論が全く異なってしまう。従って一旦誤った原理を正いと錯覚し公認してしまった時は何十年、何百年と基礎科学に対する間違った暗黒時代が続くことになる。20世紀、そして今(相対性理論、ビッグバンなど)がまさにその暗黒時代である。
 そのような時代にならないよう我々一人一人が、基礎となる物理的根本原理に対し、何が正しくて何が誤っているかを正確に判断できる自分自身の能力を培かわなければならない。そして既存科学における怪しげな理論や原理に対し強く監視することが重要である。
 例えば、ビッグバンの基礎となる光のドップラー効果に対する現在の解釈が本当に正しいのか、光が粒子でもあり波でもあるという解釈は正しいのだろうか。地球に飛来してきた光速に近い宇宙線が空気と衝突し生成したμ中間子の寿命が延びる現象に対し、高速の粒子内部では時間が短縮するためだという解釈は本当に正しいのだろうか。など現代科学にも疑問が浮かぶ怪しげな解釈が多数存在する。

7、2 科学的とは 

   我々の日常生活において、科学的という言葉は様々な分野で頻繁に使用される。例えば窃盗や殺人等の犯罪を取り扱う事件では、以前は血液型が科学的根拠として用いられていた。しかし近年では科学の進歩により、より確実に犯人などを特定するためDNA鑑定が使用されている。このように科学的根拠にも色々あるが、より正確で緻密なものほどより科学的と言える。逆に不正確で曖昧な根拠はあまり科学的とは言えない。又、科学的という言葉もその分野により価値判断が異なり意味や解釈に多少の相異があるため、ここでは物理的な分野に絞って説明する。
7、2、1 科学的基準 
   科学的とは何か?と問われた場合、明確な解答は存在しない。何故なら科学者の間でも多少の意見の相異が在り、これ等を統一することが困難であるためである。例えば、ある論文では測定可能なもののみが科学であり、それ以外は科学でないという極論もある。一般に信憑性が高く定量化できるものほど科学的と言える。現代では科学的である要件として多数の科学者を共通の認識に導いてくれる幾つかの指針は存在する。
@ 定量化、実証性 
 観則や実験などにより経験的な事実として、その特性が定量的に明らかにされた事象。
A 再現性、定式化 
 星の運行、温度と体積の関係等のような必ず規則的に再現可能なもの。及びそこから導き出される定式化された方程式など。
B 論理的  
 直接観測したり実証出来ない事象や物体などに対しても、現在絶対正いと公認されている定数や方程式、理論などを基礎として、また自身の行った実験、推論、考察より得られた新知識などから論理的に導き出せる命題や仮説、発見など。
C 定数  
 陽子の質量、光の速度、絶対0度の値など、多くの実験や観測により導きだされたその数値。正いと公認された方程式などに含まれる未定数が、実測値などから確実に得られたその数値。 
D 整合性 
 異なった課題で得た結果に対し論理と論理、論理と数値、数値と数値などが互いに関連性が存在した場合など。
 例えば、重力方程式の定式化と電磁力方程式の定式化とが同一の形式関係にあること。熱力学から得られた圧力や内部エネルギーを分子運動論からも同一の数値が導き出されること。真空中(エーテル)を伝播する光速の数値と真空中を伝播する重力の速度が同一であることなど。
7、2、2 科学的根拠 
   証拠書類や論文などを作成する際、その正しさを証明するため、多くの科学的根拠が要求される。その際、対象となる科学的根拠がどの程度信頼できるものかが重要となる。しかし現代科学においてはこの信頼度を正確に測る物差しは存在しない。即ち現代は科学時代であると大多数の人が主張し、それを認めていながら、科学的かどうかを科学的に測定する技術を持っていないという皮肉な状態に置かれている。
 従って、当該科学的根拠がどの程度信頼できるかのランク付けは、専門家の意見や経験則から大よその判断で決めるしかなく、最終的には個人的判断に委ねるしかない。特に物理学では、信憑性の低い解釈や仮説や理論が時代により組織的、威圧的に正いとされていることもある。そのような科学的根拠を基礎として展開された研究などは、当然信憑性が低いと言わざるをえない。故に基礎となる科学的根拠を選択する場合は充分注意する必要がある。また、未知なる分野を模索し探求するような奥の深い研究では、現在では否定され排除された忘れ去られた信憑性の低い科学的根拠でも、個人的に正いと確信し、そこから新しい理論が展開できる場合には積極的に採用すべきである。

7、3 公理系 

   同じ事象に対し多数の人間が完全に同じ認識に達することは可能なのだろうか。 公理とは多数の人間がなんの説明や証明も必要とせず、共通の認識を持つことのできるよう定めた主張のことである。ある命題が真であることを証明するには、複数の公理を主張しなければならない。又公理より証明され真と認められた命題を基礎として他の命題を証明していくことになる。そのような体系全体を公理系と呼ぶ。対象とする研究課題により公理系も異なる。
  物理学では、基礎となる科学的根拠となる法則や仮説が、対象となる公理系の公理になる場合が多い。そして選択した公理に欠陥がある場合には、それを基礎として構築した命題も誤りである可能性が高くなる。故に、根本となる公理を選択する際は厳重な注意が必要である。又、証明され真であると認められた命題であっても、その命題を解くために用いられた公理そのものが怪しげでないかも充分調査しておくべきであろう。
7、3、1 言葉の説明 
   数学や科学書では、命題とか要請等の言葉がよく使用される。その言葉の意味から説明しておこう。
[定義]
 物事の意味、内容を言葉で明確化し、議論を円滑に展開するための取り決め。 
[公理] 
(1)総ての者が真と認める共通の指標となるもので、議論を始める前提となる仮定。 
(2)公理は証明することが出来ないし、証明する必要がない、全員が真であると認めるものが採用される。しかし例外的には、真と言えないものも採用される。 
(3)特に物理学では、とても真とは思えないその時代だけにしか通用しない支配的理論が公理として採用されてしまうことがある。そのため誤った科学から抜け出せない期間が長く続くことになる。ビッグバン、相対性理論、力の統一理論などがまさにそれに当たる。
(4)命題の中でも根本となるものが公理である。
[公理系]
 ある事象の命題が真であることを公理から証明するには、複数の公理を必要とする。このような複数の公理を集めた系を公理系という。従ってどのような公理を採用したかにより、証明できる内容が異なってくる。 
[命題] 
(1)真か偽かを明確に判定できるもの。 
(2)公理、他の命題から真であると証明されたもの。
(3)定理または公理から証明することができる。
[要請、準公理] 
(1)理論を展開するのに最小限必要となる法則。(根本法則) 
(2)主に物理学で採用される。数学の公理と同等に扱う。 
[定理] 
命題の中でも、特に重要なもの。 
[仮説]
 ある自然現象の法則や命題が真であることを証明するため設ける仮の前提条件。多くの観測結果、経験則、基本法則などから厳格に吟味され、ほぼ正しいに違いないと判断された時に用いられる。
 その命題を証明でき、尚且つ他の命題にも適用可能の時、及びその後の経験実績などから正しさが検証されるときは、その仮説は真であると解され法則や命題として認められる。その仮説だけでは十分でないときは、補助仮説も必要とすることがある。 仮説は公理の一種と解されることもある。 
[アイデア]
 単なる思いつきから考え出された科学的根拠。信憑性の低い仮説。
[理想系]
 現実の物理学では、多数の物理現象が混在し、対象を調べる完璧な観察や実験などは困難である。そこで理想的な物、状態などを想定し、そこから自然界の法則や発見などがなされることがしばしば存在する。例えば、理想気体、真空、慣性系などは完全なものを造り出すことは不可能である。そこで理想系なるものを想定し理論を展開していくことになる。
 数学は形而上学なので、理想系なるものは必要としない。
7、3、2 ユークリッド原論 
   公理系に関する代表的な書物には、古代ギリシャ時代にまとめられたユークリッド原論があり、現在においても多数の研究者の指標として読まれている。その当時知られていた幾何学の命題や定理を、基礎となる公理系から論理的に証明していくもので、純粋数学の典型と言える。その冒頭の部分だけを説明しておこう。
 全体は1巻から13巻までよりなり、第1巻は、23個の定義、5個の準公理、9個の公理、48個の命題より構成されており、命題47ではピタゴラスの定理も証明されている。また各巻ごとに定義が追加されているところもある。
[定義]
(1)点とは、部分を持たないものである。(大きさが無い)
(2)線とは幅のない長さである。
(3)線の端は点である。
(4)直線とはその線にある点が真直ぐに横たわる線である。
(5)面とは、長さと幅のみを持つものである。
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 ・
[公準、要請] 
(1)任意の点から任意の点へ直線を引くこと。
(2)有限直線を連続して一直線に延長すること。
(3)任意の点と距離(半径)とで円を描くこと。 
(4)総ての直角は互いに等しいこと。
(5)1直線が2直線に交わり、同じ側の内角の和を2直角より小さくするなら、この2直線を限りなく延長すると、2直角より小さい角のある側で交わること。 
[公理] 
(1)同じものに等しいものはまた互いに等しい。
(2)等しいものに等しいものを加えれば全体は等しい。
(3)等しいものから等しいものを引けば残りは等しい。
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[命題] 
 命題は主に作図問題と証明問題に分けられる。 
命題1:与えられた有限な直線の上に等辺三角形を作ること。(作図問題)
 ・
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命題6:もし三角形の2角が互いに等しければ、等しい角に対する辺も互いに等しいだろう。(証明問題)
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など。
7、3、3 プリンキピア 
   著者:チャンドラセカール(1910〜1995)の日本語訳(中村誠太郎、ほか6名)「プリンキピア講義」を引用した。
[定義] 
(1)物質の量とは、その物質の密度に容積との積で測られるものである。
(2)運動の量とは、速度と物質の量との積で測られるものである。 
(3)物質固有の力(活力、慣性、惰性)とは、それが静止しているか直線状を一様に前進しているかにかかわらず、それがその内部にある限り、全ての物体がその現状を保持しようとするところの一種の抵抗力である。 
(4)物体に加えられた力とは、物体が静止しているか直線上を一様に運動しているかにかかわらず、その状態を変えるために物体に及ぼされた一種の作用である。
(5)求心力とは、物体をある中心となる1点に向かって引き、あるいは押し、あるいは何らかの方法でそのように仕向けようとする力である。 
(6)求心力の絶対量とは、中心からの空間をとうして伝わる力の原因の効果に比例する求心力の測度である。 
(7)求心力の加速量とは、この力がある与えられた時間内に生じさせる速度に比例する求心力の速度である。 
(8)求心力の動力量とは、この力がある与えられた時間内に生じさせる運動に比例する求心力の速度である。
[根本法則](公理) 
(1)慣性の法則
全ての物体は、それに加えられた力によって、その状態が変化されない限り、静止あるいは一直線上の等速運動の状態を続ける。 
(2)力の法則 
 運動の変化は加えられた起動力に比例し、かつその力が働いている直線の方向に沿って行われる。 
(3)作用、反作用の法則 
 全ての作用に対し、等しく、かつ反対向きの反作用が常に存在する。即ち、互いに働き合う二つの物体の相互の作用は常に等しく、かつ反対方向へと向かう。 
[命題、定理] 
 上記の複数の定義と3つの根本法則から、様々な命題や定理を導きだしていく。重力の法則、ケプラーの法則もこの3法則から証明している。  

7、4 現象、観測、実験 

   物事を科学的に正しく理解し明晰化していくには、対象となる現象の観測から始まる。観測は出来るだけ長期間に渡り記録され、規則的な再現性のあるものほど信頼性が増す。また精度を向上するには様々な測定器を使用することがある。更に、自然界の現象だけでは正確さスピードなどが得られない場合には、高度で高価な実験装置が必要とされることもある。
 実験室などでは、ある目的に沿って個人的、組織的な実験が行われ、多量のデータが蓄積されることになる。そして実験家達は皆自分の仕事に誇りを抱いており、公開する際のそのデータの内容は、ほぼ完全に信頼できるものである。
 ところが、非常に希には心無き研究者もおり、自分達の理論の正当性を守るため、実験データに細工を施したり、都合の悪いデータを隠蔽したりすることもある。特にある時代(現在)において、世界的に支配的理論と認められている理論を完全に覆すデータが観測されたような際には、その時代の巨大権力者たちにより謀略的、威圧的にそのデータが否定、排除されてしまうことがある。そのようなことが行われないよう研究者の一人一人が注意深く監視することが大切である。

7、5 分析、解釈、類推 

   観測され実験により得られたデータは、あらゆる種類のあらゆる時代に渡り記録されており、その数はほぼ無限に近い。このようなデータをただ無雑作に蓄積し記録しておいても多くの場合、あまり役には立たない。それらを年代別、種類別、議題別に分類併合がなされ、更に表やグラフに表現することで科学的に役立つ情報として生まれ変わるのである。
 このように分類整理された情報は、更にその目的に沿った形に分解され分析されていく。この作業がいかに優れているかにより、重大な発見、法則へと繋がっていくのである。歴史的にはケプラーの法則が良い例である。ティコの観測した厖大な星に関するデータを正確に分類、描写することで惑星の回転に関する三つの法則を発見した。
7、5、1 解釈 
 次に、分析され生まれ変わった情報を、どのように理解し解釈するかが重要となる。同じ情報でも解釈の相異により全く異なった科学理論が構築されてしまうのである。
(1)天動説と地動説 
 古代ギリシャ哲学でも述べたように、全く同じ複数の現象に対し、アリストテレスは地球中心説を主張し、アリスタルコスは太陽中心説を主張した。その当時の常識から考えて地球中心説が有利であったため、誤った解釈が1000年以上に亘り正当化されてしまった。
 更に悪いことには、基本原理が間違っているのであるから、観測精度が向上してくると観測結果と矛盾が生じてくる。その矛盾を正当化するため周天円のようなおかしな原理が次から次へと考案されるようになる。
(2)エーテルの否定 
  マイケルソン、モーリの実験結果から地球の公転に対し、同一点光源から発した光波は前方向と横方向では伝播距離が異なるのに、時間差が生じないという驚くべき結果を得た。この結果をどのように解釈するかで全く異なった理論が展開されることになる。
ローレンツは絶対静止のエーテルの存在を確信していたので、空間と時間が進行方向に短縮されるという説を指示した。しかしこの解釈ではニュートン力学が駄目になるという矛盾を生ずる。
アインシュタインは、エーテルの存在を無視して絶対静止は存在しないと解釈し、一方光速度不変の原理を採用しこの現象を矛盾なく説明するのに成功した。そして現在では特殊相対性理論として定着しエーテルの存在は無視されている。しかし、この理論は基軸を光速にしただけの単なる数学的座標変換にすぎず、物理学ではないという批判もある。
本書では、これまでの科学には存在しなかった累積エネルギーという新概念を採用することで、絶対静止の状態を明晰化し、上記の現象を全く矛盾なく解決している。と同時に相対性理論が誤りであることを完全な形で論破している。(詳細は14章を参照)
**注** 
 このように、ある情報をどのように解釈するかにより、その後の理論展開が全く異なってきてしまう。正しい解釈を採用した場合は特に問題ないが、誤った解釈を採用し理論を展開したときは、その誤った原則に基づいて構築された理論のほとんどが間違っているという悲惨な結果が待ち受けている。更に、誤った解釈からは必ず幾つかの矛盾が生じてくる。それを正当化するため、正常とは思えない原理や法則が捏造され益々おかしな科学が構築される。従って複数の解釈の仕方が存在するときは既定概念にとらわれず、どれが正しい解釈か充分吟味した上、自らが納得できるものを選択することが重要である。著名な人の書物に書いてあるからとか教授が言うからという、猿真似解釈だけは避けなければいけない。
(3)分子の存在 
a) 分割/不分割の章(5章)で記載したように、ニュートン流の化学者達は、極小の粒子が存在すると信じ、その力学関係から原子の存在を明らかにしようとした。しかしその企ては失敗している。
b) 一方、様々な化学反応において重量には一定の規則があることに気づいた化学者達(ドルトンなど)は、その方面から研究を進め原子の存在を明晰化した。 
c) また、気体の化学反応において、体積にも一定の規則性があることに気づいたゲイ・リュサックやアボガドロなどは、これまで曖昧であった分子と原子の区別を明晰化するのに成功した。
 このように、似たような実験データでも、その分類の仕方、分析の方法、その解釈の相異などによりその後の結果が全く異なって来ることを留意する必要がある。
7、5、2 類推 
    ある未解決事項に関し、それと類似し、現在既に正いと認識されている事項とを比較、参照し、それと同じ思考過程を用いて問題を解決しようとする手法をいう。例えば空気中の音波の速度、色々な物質中を伝わる波の伝播速度が既知である場合、地震などが起こった際の地球内部を伝播する震動の状態を観測することにより内核やマグマの層の状態を類推できる。
 しかしこの方法は、信憑性の高い方法とは言えない。対象とする事項と参考とする事項の類似性が高い場合は信憑性も高いが、あまり類似性のないときはその結果も信憑性が低いということになる。
7、5、3 誤解、錯覚 
   我々人間は五感を通じて、色々な物事を判断する。その際よく誤解や錯覚をし、その間違った判断により行動することで大きな誤りを犯すことがある。例えば、風呂から湯気が昇っていたので温かいと思い入ってみたら底の方が冷たかったり。リサイクルショップで「この指輪いくら」と聞いたところ「一つかな」と言うので、1万円だと思ったら10万円だったり。その様な体験は誰でも頻繁にある。
 科学の分野でも誤解や錯覚から長期に亘り、間違った科学が正当化されてしまったことが歴史的にも何度か存在する。例えば、地球が宇宙の中心だと思ったり、熱とは熱素という粒子の集まりだと考えたり様々である。
 最近では時間や空間が短くなったり長くなったり、光が粒子であると言いながらドップラー効果が生じるなどと、全く統一性の無い意味不明な理論が横行している。このような理論はあまり信用しないほうがよいだろう。

7、6 証明 

 
7、6、1 公理系の明確化 
 当該事象の正当性を主張する際、最も重要なことは最初に定義とか公理、仮説を明確化しておくことである。これが正しく緻密であればある程統一的な証明が保証される。逆に粗雑である場合は、その結論も怪しいものであると言わざるをえない。例えば、ある一部の事象を説明する際は、既知の法則や理論を用いるが、別の一部の事象を説明する際は、別の法則などを用いその関連性が正しいかどうかには全く触れてない場合がある。即ち全く統一性がないのである。しかし全ての前提条件をあらかじめ記述するのは無理があり、一般には重要なものだけを説明し、他は科学的な常識で判断し論考していくしかない。
 物理学である事柄、命題等の妥当性を明らかにする証明には論理的推論が主に用いられ、大きく分けて帰納的推論と演繹的推論、仮説的推論の三つがある。更に細分化すると、三段論法、必要充分条件などが複合的に用いられる。更にテクニックとしては、配偶法、背理法 などがよく使用される。
7、6、2 帰納的推論 
 様々な観測事実、実験結果などから規則性があったり、再現性が明らかな出来事などから推論し、新しい真理を導きだすことができる。しかしこの方法はあくまでも愕然的なものであって絶対的なものではない。例へは、太陽が朝東から昇り夕方西に沈んだという事実の観測結果を何年間も記録したとしよう。この記録から「太陽は東から昇り、西に沈む」という命題を得る。しかし数十億年後に1回でも太陽が昇らない日があったらこの命題は「偽」となる。ただしそれまでは「真」と認められる。
<確実性の原理>
 命題に関連した正しさを示す観測が増えれば増えるほど。その命題の確実性は増大する。
7、6、3 演繹的推論 
 最初に公理、定義、仮説などを定め、それが正しいという前提条件のもと、当該命題の真偽を推論していく方法である。この方法で導きだされた結果は、前提条件が正しければ絶対的、必然的に「真」であることが証明される。その反面、前提が曖昧だったり、不適切であったりする際は、その導きだされた結論も「偽」である場合もある。
(1)三段論法 
 大前提、小前提を定め、そこから結論(命題)が真であることを推論していく。必ずしも三段であるとは限らない。4段、5段になることもある。
例1) 大前提:AのボールはBのボールより大きい。 
    小前提:BのボールはCのボールより大きい。
    結論:故に、CはAより小さい。
例2) 前提1:AはBより大きい。
    前提2:BはCより大きい。
    前提3:CとDは同じ大きさである。
    結論:故に、DはAより小さい。
例3) 前提1:物体の重量1gの温度を1°C上昇させるに必要な熱量を「比熱」と定義する。
   前提2:水の比熱は鉄の比熱より大きい。 
   前提3:温度が10°Cの部屋で同重量の水と鉄を天秤にかけ、釣り合いが取れていた。
   前提4:温度が50°Cの部屋に水と鉄と天秤をそのままの状態で移動して、全体が50°Cになるまでしばらく放置しておいた。
   前提5:前提1と2より明らかなように、鉄より水の方が多くの熱量を吸収したことは理解できる。しかし天秤の釣り合い状態は保たれていた。 
   結論:故に、熱には重量が無い。
(2)必要十分条件 
 命題とは真偽を明確に判定できるものである。しかし曖昧な事象も存在する。 例えばカラスは鳥であり、鳩も鳥であることは公理であるとする。この場合、
@十分条件:「カラスは鳥である」は真である。「鳩は鳥である」も真である。このような場合を、カラスが鳥であるための十分条件であるという。
A必要条件:「鳥はカラスである」は、完全に真ではない。とはいえ偽でもない。何故ならカラスは鳥の仲間でありまた鳥には鳩や雀などもいる。このような場合を、カラスが鳥であるための必要条件であるという。
B必要十分条件: 箱の中にカラスが一匹だけおり他には何も居ない。そしてカラスは鳥である。鳥が箱から外に飛び出した。「よって飛び出した鳥はカラスである」は真である。この時、箱の中の鳥はカラスだけであるから「鳥=カラス」が成立する。このような場合を、飛び出した鳥はカラスであるための必要十分条件又は同値であるという。
[例] サンマとマグロは魚類である。馬と鯨は哺乳類である。サンマとマグロと鯨は海で生活する生物である。
 この場合、サンマは魚類である、鯨は哺乳類である、マグロは海で生活するは十分条件であり真である。魚類はマグロである、哺乳類は馬である、海で生活するのは鯨であるは必要条件であり完全に真であるとは言えない。
C 集合 
 上記の問題を取り扱う際、数学的には集合の問題を適用すると理解しやすい。 魚類は部分集合でサンマ、マグロはその要素である。哺乳類も部分集合で馬、鯨はその要素である。海で生活する生物は部分集合で鯨、マグロ、サンマはその要素である。魚類と哺乳類と海で生活する生物は、生物を全体集合とした要素である。鯨は哺乳類であるは十分条件であるから真である。馬は魚類であるは、魚類の集合に馬は属さないので偽である。海で生活する生物は鯨とマグロであるは必要条件である。
(3)対偶法 
 ある命題が真であることが確実の場合、その逆、裏、待遇も真であるか偽であるかを 確認することができる。例えば「PはQである」が真である場合
*逆: 「QはPである」を逆と呼ぶ。
*裏: 「PでなければQではない」を裏と呼ぶ。
*待遇:「QでなければP出ない」を待遇と呼ぶ。





                  図7−1:待遇法 

(例1)
[命題] AのボールはBのボールより大きい。この命題は真だとする。
<逆> BはAより大きい。これは偽である。 
<裏> AはBより大きくない。これは偽である。
<待遇> BはAより大きくない。これは真である。 
(例2)
[命題] カラスは鳥である。この命題は真であるとする。
<逆> 鳥はカラスである。これは真でもないが偽でもない。しかし一般には偽であると解される。
<裏> カラスでなければ鳥でない。これは真でもないが偽でもない。しかし一般には偽であると解される。
<待遇> 鳥でなければカラスでない。これは真である。
(例3) 次の前提1と2が真であるとする。
[前提1] AはBより大きい。
[前提2] BはCより大きい。
<逆> BはAより大きい。CはBより大きい。これよりCはAより大きい。よって偽である。 
<裏> AはBより大きくない。BはCより大きくない。これよりAはBより小さい。よって偽である。
<待遇> BはAより大きくない。CはBより大きくない。これよりAはCより大きい。よって真である。
*真偽の判定*
 一般に、<逆>と<裏>は偽であるが、そうでない場合もある。<待遇>は必ず真である。
(4)背理法
 元の命題を偽であると仮定して論理を展開していき、結果に矛盾が生じた場合、元の命題が真であることを証明する方法。
(例1)a、b、cが整数で、a + b =c が成立していたとする。この時a、b、cのいずれか1つは偶数であることを証明せよ。(奇数の2乗は奇数、奇数+奇数=偶数であるという知識を用いる)
証明: 今、a、b、cのすべてが奇数であると仮定する。奇数の2乗は奇数であるから、上式は、奇数+奇数=奇数となる。また奇数+奇数は偶数であるから、偶数=奇数 となり明らかに矛盾する。よって、いずれか1つは偶数である。
7、6、4 仮説的推論(アブダクション)
   ある自然現象を観察、実験などより得た複数の事実を、科学的に理解するために推論し真であるとして設けた命題又は公理を仮説と呼ぶ。このような命題は実際に検証されるまでは真偽不明なのであるが、様々な未知なる領域の現象を解明していくためには必要不可欠なものである。そしてその後の多くの経験によりその正当性が保証されれば、その仮説は正いと認知されるようになり、法則とか理論と呼ばれるようになる。ただし正いと公認された仮説であっても、それを覆す現象や理論が新たに現れて来た時には、その仮説は偽であると解されることもある。
 従って、古い仮説と新しい仮説とは激しく対立することが科学史的にも多数存在する。例えば、デカルト派は近接作用を認め遠隔作用を認めなかったが、ニュートン派は遠隔作用を支持しており、両派の間で激しい論争が繰りひろげられた。歴史的に有名な仮説には次の例がある。ギリシャ時代のアリストテレスは、その当時知られていた様々な現象(物体の落体運動など)を総合的に理解するため、地球が宇宙の中心で、不動であるという仮説を提唱した。一方アリスタルコスは、太陽が地球よりはるかに大きいことを観測し、大きい太陽の周りを地球が回転するのが自然であるとして、太陽中心説なる仮説を提唱した。
(例1)ボーアの原子仮説 (詳細は11章を参照)
 原子の存在が明らかとなり、更に中心に核があり、その周りを電子が回転しているのであることが解明されると、新しい謎も幾つか浮かんでくる。
@ 電子は高速で回転しているのであるから、加速運動しており、その結果電磁理論に従えば連続的に光を放射しエネルギーを失い急速に原子核に落下してしまう。故に現状の原子の姿を保持できない。
A 光を放射する際、連続的に放射されるはずであるが、実際は規則的な不連続の線スペクトルが観測される。
 ボーアは上記の疑問を解決するため次のような仮説を提唱する。そして電子の軌道半径、線スペクトルの実測値などを論理的に説明することに成功する。
@ 電子が回転する軌道半径は連続的ではなく、飛び飛びの値でその様な軌道を定常状態と呼ぶ。そして定常状態を回転する電子は光を放射しない。
A 電子の軌道の各定常状態は、それぞれエネルギー準位を有し、ある定常状態から別の定常状態に落下する時そのエネルギー順位の差に相当する振動数の光を放射する。これを振動数条件と呼ぶ。
(例2)本書で主張する光の放射原理 (詳細は12章を参照) 
 ボーアの原子仮説により、原子構造や放射原理が解明されてきたわけだが、何故定常状態では光を放射しないのか、何故軌道間のエネルギー準位の差の振動数の光が放射されるかの疑問も残ったままである。
 本書では、この疑問に対し、「光の放射は電子が光速に達した時行われる」及び「電子は1量子エネルギー落下する毎に光速に達する」という仮説を提唱することで新しい光の真実の解明に挑戦している。
<<仮説の創造>> 
 それでは人はどのようにしてその担当者にしか浮かばない特殊な「仮説や推論」が湧き出して来るのだろうか。それは多くの場合、その研究者あるいは担当チームが長年の間培ってきた経験や知見から推察を繰り返し試行錯誤の末、直感的に生まれてくるのではないか。特に大発見、大発明と呼ばれるものにはその様な場合が多いようである。それ故その個人特有の直感(閃き)というものは非論理的で科学的でないと思われるが、実は科学の進歩には欠かす事のできない重要なものである。
7、6、5 数学的証明 
    ここまでの証明方法は、論理的ではあるが観念的、定性的なものが多かった。しかし厳格に明晰化するには数学的、定量的に証明することが求められる。
(1)定量化 
 AはBより大きいとか重いと言っても量的にどのくらい大きく、重いのかを知らなければ明確化されたとは言えない。従って当該事象を少しでも明晰化していくには、観測や実験などより出来るだけ多くの精細なデータの収集が必要不可欠である。 
(2)法則 
 再現性のある現象や規則性のあるデータからは、法則を導き出せる場合が多い。例えば、ボイルは気体の圧力と体積の関係を調べた実験データから推論して、「圧力と体積を掛けた値は一定である」という法則を見出した。そしてシャルルは、気体の体積と温度の関係の実験データから「体積を温度で割った値は一定である」という法則を見出した。
(3)定式化 
 法則として導き出されると、それは次に多くの場合定式化される。
上記のボイルの法則の場合は、 P・V = 一定。 ここでP:圧力、V:体積。
シャルルの法則の場合は、V /T =一定。  T:温度。
更に、二つの法則の定式化より新たな定式が導きだされボイリ・シャルルの式として知られるようになる。  
   P・V = 定数・T  (定数=n・R  n:モル数、R:理想気体定数)
このように定式化がなされると、様々な状態の予測が可能となり、産業界、経済界など多くの分野から利用されるようになる。
7、6、6 検証 
 与えられた命題が真であることを確認するには、検証によってなされる。確固たる事実から実証される場合と、演繹的になされる場合とがある。
(1)演繹的検証
 ある命題が演繹的に証明された場合、その命題は真と認められる。 
[例1]: 原子の存在 
 ドルトンが原子の存在を明晰化するまでには、長い歳月を必要とした。ギリシャ時代のタレスは「物質の多様性は一つの始原物より成る」と言った。エンペドクレスは「4元素―空気、水、火、土―より成る」と言った。
 ドルトンの時代においては、原子、分子の存在を観察することなどとうてい不可能であった。しかし様々な化学反応において重量には一定の規則性があることから、この面から研究が進められ、質量不変の法則、定比例の法則、倍数比例の法則など明らかとなる。ドルトンは、これらの法則と自ら行った実験データから推察し、ほとんどの元素は水素の質量を1とした場合の整数倍になることをみいだす。そこから原子の存在が明らかにされ公認される。


 ドルトンにより原子の存在が証明され検証されたわけだが、現在では原子も陽子や電子の構造物であることが知られており、原子が極小粒子ではないことは事実である。従ってドルトンの原子論は偽であると言う意見もある。しかし決してそうではない。その理由をこれから説明しよう。ただしこれからの説明は私的な意見であり興味のない読者は読み飛ばしてください。
 


 安定した領域の世界  


   我々が住む空間は、巨視的な世界、人間サイズの世界、微視的な世界に分離できる。更に細かく分けると、銀河、恒星、惑星が巨視的世界で、山、川、家、コップなどは人間サイズの世界である。そして、細胞とか原子の世界が微視的世界と言える。これらの現象から想像できることは、銀河は銀河として、山は山として、原子は原子としてその世界の空間内で長期に安定を保っている。一方不安定な星は爆発を起こし崩壊する。また中性子などは、単独になると15分ほどで電子やニュートリノを放射し陽子として安定した粒子に代わる。不安定な物は短期で崩壊し、安定度の高い物ほど長期に亘り宇宙空間に存続できる。このような自然現象をどのように解釈すべきか、様々な意見があると思うが私は次のように捉えている。
 現在では我々人間サイズの岩や水、動物などは総て原子から出来ていることは知られている。そしてこの岩石が沢山集積すると惑星として安定した星になる。更に集まると自ら輝く恒星となる。これらの星が互の重力や運動エネルギーにより集合し銀河が作られ、安定した領域の世界が形成される。即ち原子は原子として安定した世界を形成し、岩は岩として安定し、星は星として安定し、銀河は銀河として安定した世界を形成する。
 それでは原子は何から形成されこのような安定度を保っていることが出来るのだろうか。近年では陽子、中性子、電子、クウォークなどの素粒子から構成されていることが分ってきている。また原子より更に小さく質量も測定困難なほど少ないニュートリノ等の粒子も観測されているがその実態は不明である。
 このような考察をしていると、原子やニュートリノより遥かに極小な世界で安定を維持した領域が存在するのではないだろうかと憶測したくなる。それが本書の9章で記載した「未知なる粒子」「プランク単位系」である。




[例2] 電子の質量
 電子は質量があるかという命題に対し、電子の静止質量は直接計りに乗せ測定するのは困難である。しかし電気、磁気力等の法則を利用して(本書5、3を参照)その数値を検証することは可能である。
(2)実証
 観察や実験結果により確実にその事実が確認できたとき実証されたと判断できる。しかし近年のような精密さを要求される科学においては、その確認された事実や結果をどのように解釈するかにより誤解や錯覚、考え違いも起こりやすく実証され公認されたものでも、現実には「本当かな」と疑いたくなるような信憑性の低いものも少なくない。
7、6、7 反証 
 ある命題や主張が偽であることを証明することを反証という。証明する方法には実証する方法、論証する方法などが用いられる。
[例1] 「光の速度は無限である」という命題があったとする。
@ ガリレオは、8Km離れた2つの山頂から光を点滅することで光の速度を調べたが失敗に終わった。故に上記の命題の反証はされていない。
A レーメルは、木星の惑星レオが木星の影に入り再び出てくる時間が季節により異なることから光の速さを算出し、この命題の反証に成功した。
 しかし、この現象が光速ではなく、他の原因であることが反証されたときは、また振出しに戻る。
[例2] 「熱の原因は、熱素という粒子である」
 ラムフォードは、大砲の中ぐり作業の際作業を続ける限り、熱が無限に湧き出ることから、この命題を覆し反証している。

7、7 科学的思想の流れ 

 本書では、科学的思想の流れというものを非常に重視している。何故ならば新しい科学的思想は突然に湧き出てくるものではなく、必ず先人達、或いは自分ではない人の知識の累積により創造されてくるものであるからだ。また長い年代に亘る多くの科学的思想を知ることで、どのような思想が正しく、どのような思想が誤りかがそれとなく分ってくる。ある時代には栄え、別の時代には無視され、また別の時代には復活されることが歴史的には頻繁に起こっている。また過去の思想を振り返ることで誤った思想と正しい思想が激しく論戦を繰り返していることが分かる。何故そのようなことが起こるのかをあらゆる視点から解析することで、知らず知らず自分自身に自然科学に対する正しい判断基準が培われてくるのである。そのことが大変重要である。
 そのため本書では、ギリシャ時代の様々な思想を時代別に網羅し、近世ヨーロッパで栄えたエーテル仮説を詳述し、熱学、エントロピー概念がどのように構築されてきたかを説明してきた。更には原子、分子の発見、黒体輻射から始まりマクスウェルの速さ分布、ヴィーンの公式、プランクの公式、そしてプランク定数の発見までの科学的思想の流れを示した。
 





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