目次、記録 宇宙の真理  再現性の法則 宇宙の大気 大自然の秘密 古代ギリシャ哲学 エーテル仮説 マイケルソンの実験
分割/不分割の問題 熱力学  エントロピー 空洞輻射 プランクの公式 公理系 次元と単位 重力定数の研究
未知なる粒子  プランク単位系  ボルツマン定数  重力 光の転生 電気素量の算出 ボーアの原子理論 光の正体
ビッグバンの困難  相対性理論の誤解  元素の周期律表  一歩進んだ宇宙論 電磁気の歩み 電磁気基礎知識 マクスウェル方程式 電磁波は実在しない
回転軌道の法則  赤方偏移の真実 周期律表の探究  周期律表正しい解釈  真偽まだらな量子力学 波動 宇宙パワー 
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ピュタゴラス デモクリトス
アリスタルコス アルキメデス
プトレマイオスアリストテレスの宇宙観
運動と力の原理 天動説の陥落

3、古代ギリシャ哲学

 人は皆”正しい”とは何かを探し求めている。しかし現実には誰でも嘘をついたり、騙したり騙されたりしている。このことが悪いとは一概には言えない。何故なら力の弱い人間が強い動物に勝利を治めてきたのは、この騙しの能力に優れていたからともいえるからである。だが相手が大自然、大宇宙となるとそうは行かない、そこには真理は一つしか存在しないのである。従って、正しいものはあくまでも正しく、誤っているものはあくまで誤っているのであり騙すことは出来ない。
 ところが残念なことに人類史上、宇宙の創造に対し、何が正しいかを知る者は一人も居ないし、今後も現れないだろう。そのため多くの問題が生ずる。即ち、真実は正しくない理論でも、それを知る者は誰も居ないのであるから、人間の持つ騙しのテクニックを巧妙に駆使して、尤もらしく予言し、誤った解釈を施し、立証し、正当化することが可能なのである。従って一旦正しいと公認されてしまうと、嘘で構築された、その誤った科学から抜け出すことが困難となる。それでは我々は、どうしたらその誤った理論を見破ることが出来るのだろうか。
 騙されやすい人には二つのタイプがあると言われる。一つは欲深い人物、いま一つは無知な人物である。欲のない人物に私は出会ったことが無いので一つ目の言葉は忘れよう。次に無知な人物は騙されやすい。これは正しそうである、何故なら自分の体験から、現在より若い頃の方が無知だったし、騙されやすかったことは確かだからである。
 そう、そこで騙されないため、誤った理論を見破るためには、またより真理に近い正しそうな理論を探し求めるためには、より多くの、より有効な知識を吸収し、様々な観測事実を詳細に分析し正しく解釈出来る、総合的な判断能力を養うことが、最も賢明な方法といえそうである。

3,1 ギリシャ時代の宇宙観

   宇宙を支配している根本的要素は何か、宇宙は無限に広いのか有限なのか、物体は無から生じたのか、それとも初めから存在し今後も永久に在り続けるのか、などなど。このような疑問は古代より数多く語られてきているが、未だ正しい解答は得られていない。前述したエーテル大気のような発想も歴史的には幾つか存在する。そしてそれら科学的思想は、ある時代は栄え、別の時代には衰え、更に復活するという一転、二転、三転を繰り返し現代に至っている。この先どのような反転劇を繰り返していくかは、誰も予測できない状態にある。そこで科学史上どのような思想が生まれ、消滅し、再度復活してきたのか、その思想過程の沿革を辿ってみることにしよう。
(1) タレス(前624年頃)
 * ギリシャ時代における自然学の先駆者。イオニア学派(古代ギリシャの地方名)の開祖として「哲学の父」と呼ばれる。
 *万物の始原物質(アルケ:源泉とか始原という意味)を水に求め、他の一切の事物は水より自然的に生ずると説いた。
 *物質の多様性は、ただ一つの始原物(水)から生起し、水に還元する。その根拠は、水は土と空気の中間にあり、水が土や空気に転化すると考えたようである。この水が土に転化するという説は、西洋においてはラヴォアジェ、シェ−レ(中世の人)が実験により打破するまで、信じられていたようである。
 *大地は一つの円盤になっており、その周囲を水が流れ、その上に天が円蓋を作っていると考えていた。
<物質の多様性が一種類の始原物に還元されるという思想は、今日でも受け継がれている>
(2) アナクシマンドロス(前610〜547)
 *タレスの弟子
 *万物の根源は、最も根本的であるべきで、それは水ではなくアペイロン(形を持たない無限なるもの、後のエーテルや気に似たものにつながる)であり、球形をした空間(宇宙)の中に充満していると説いた。
 *宇宙は球形で、そのアペイロンの中心に大地が静止して浮いているのだと言う。
(3) アナクシメネス(前585〜528)
 *アナクシマンドロスの弟子 
 *アペイロンは空気であると言った。
(4) ピュタゴラス(前569〜470)とピュタゴラス学派
 *音楽の作用に着目し、弦楽器の基本的な音程比が6,8,9,12であることを発見する。そこから、世界の原理として数を指定し、宇宙は数を中心とした調和の上に成り立つとし、数学の研究を重視する。
 *最も完全な対象形は、初めも終わりも無い円であり、球であることから、大地も天体も球形をしているとし、月も大地も、それぞれ異なった天球面上に沿って運行していると論じ、すでに地球球形説を持っていた。
 *地球中心説は捨て、すべての天体は「万物の炉」と呼ばれる火の周りを回転しているという地動説を持っていた。
 *霊魂の輪廻転生と浄化の禁欲主義を基調としていたという伝えもある。
(5) ヘラクレイトス(前540〜480)
 *「万物は流転している」と説き、自然界は絶えざる変化と転換の中にある。流転を象徴する始原物質は「火」であると説明していた。
 *人は理性によって共通の認識を持たなければならず、その共通のものを比率(ロゴス)と呼んだ。当時の貨幣経済の発達により、貨幣があらゆる商品と交換できる共通の比率であることから、万物の共通の比率は火であり、万物は火と交換されると説いた。
 *又「我々は存在するのでもあり、存在しないのでもある」と言う。これは、事物が生長、変化してしまうことを表現している。
 *彼は流転には好都合な樽の中で生活していたという。
(6) パルメニデス(前515頃)
 *ヘラクレイトスを批判し「在るものはあくまでも在り、無いものは考えることも出来ない、したがって<空虚な空間>は無い」と論じた。
 *始めて空虚な空間が無いことを明言した人である。
(7) アナクサゴラス(前500頃)
 *万物は生成も消滅もしない、無限に分割可能な種子(スペルマタ)が無限にあり、いっさいの生気は、このスペルマタの混合と分離であって宇宙における物質の分量は増減しないと考えた。   質量不変の法則を論じた最初の人である。
 *運動を起こす源は知性(ヌース)であり、知性は物体に渦運動をおこさせ、天体や土、水などに分かれるという。
 *始めて渦動という概念を用いた人である。
 *最小なものは無く、物質はいくらでも分割可能であることを主張している。
 *天界から落下してきた隕石が地表にある岩石と似ていることから、月やその他の天体も地球と同じように山も谷もあるに違いないと考えていた。
 *太陽や月は神などではなく、太陽は白くて熱い岩石で光を放射し、月は冷たい岩石にすぎず、月の光は太陽の光を反射したものであると述べている。
 *月の光は太陽の光を反射したものであることに気付いた最初の人である。
(8) エンペドクレス(前493〜430)
 *物質にはこれ以上分割できず非転換の最小微分子が複数あり、その混合と分離により物質変化が生ずると解き、初めて複数の元素を主張した人である。
 *これまで見えない空気の正体を、漏斗のような透き通った器具を用いて実験をし、水中に浸した器具の上端を指で押さえ、少し持ち上げると器具内の水が、水面より上にくることを示し、その原因は空気が器具の下方より力を与えてるためであると説明した。空気圧の存在を実験的に証明した最初の人である。
(9) デモクリトス(前460〜370) 
 *宇宙は、アトマス(原子)とケノンの二種類から構成されているとし、ケノンは形を持たず、空間の全てに充満した空虚であり、アトマスは分割できない最小単位の粒子で、アトマスの運動は、このケノンの空虚が無くてはならず、故にアトマスもケノンも同じ資格を有するとした。
 *原子(アトマス)は微細で多数の種類があり、例えば甘味、辛味、苦味などは、その原子の形体が丸かったり、ぎざぎざだったりするためだと説明している。
 *又、このアトマスが後に提唱される<ドルトンの原子説>として復活をみる。
 *彼はまだ大地が平坦で円盤状をしていると考えていたようである。
(10) プラトン(前427〜347)
 *ソクラテツの弟子、アリストテレスの師匠。
 *ピュタゴラス派の数学的思想を受け継ぎ、永遠にあるものを認識できるのは幾何学であり、永遠の存在のみが有であると言う。更に可視的なものと可知的(イデア)なものとを分け、イデアの世界のみが有であると説き、このイデアよりその影である可視的なもの、物質的なものが構築されてきたのだと考えていた。
 *球は幾何学的に最も完全であり故に宇宙は球形をし、各天体は球面上に沿って大円を描いて運行している説を支持している。
 *又、四元素説を支持し、火の元素は正四面体、土の元素は正六面体、空気の元素は正八面体、水の元素は正二十面体の形より成るとしている。
(11) アリストテレス(前384〜322)
 次節で詳述。
(12) エウクレイデス(ユークリッド)(前300年頃)
 *幾何原本(ユークリッド幾何学)の著者として知られているが、その生い立ち、学歴などは諸説あり一定しない。
 *当時、厳格な証明が欠けていた多数の数学的知識を、統一的に体系化する。
 *その手法は、公理、公準、定義を厳格に定め、そこから当時知られていた諸定理及びその他の定理を演繹的に証明していくもので、純粋数学の典型といえる。
 *この手法は、科学史の基礎をなすもので、現代に至っても多数の研究者の北極星として光り輝いている。
(12−1) ヘラクレイデス (〜前320年頃)
 *惑星や恒星の毎日の運行(東から昇り西に沈む)は、地球が自転してるためであることを主張している。ただし地球が宇宙の中心であることも認めている。
(13) アリスタルコス(前301〜230)
 *ピュタゴラスと同じサモス島に生まれ、地動説を受け継ぐ。
 *月の光は、太陽の反射光であることを認め、半月のとき、月と地球と太陽を結ぶ直線は、直角三角形をなし、地球から見た月と太陽の角度を測定することで、その距離の比を算出できることを解く。そこから太陽までの距離は、月までの距離より18〜20倍遠いことを求める。(今日では400倍)
 *月食(太陽と月の間に地球が入り、月光が見えなくなる現象)の際、月が地球に遮られる時間を観測し、そこから地球の直径が月の4倍であることが知られており、そこから太陽の大きさが地球よりはるかに大きいことを悟り、太陽を中心として地球が回転している地動説を明言する。
 *又、地球が24時間で自転していることも、既に認識しており、現代に近い宇宙感に到達していた。
 *更に、宇宙は球形でなく、無限であるとも述べている。
 *同時代のアルキメデスとも親交があり、彼は「アリスタルコスは極めて賢人である」と賞讃している。
(14) エラトステネス(前276頃)
 *彼の住んでいたアレクサンドリアでは、深い井戸の底まで太陽の光が射し込むということはあり得なかった。しかしその地域より南に数百キロメートル離れた地方では、正午に太陽が真上から射し込み井戸の底を照らすという事実を知った。そこで彼は次のように考えた。太陽は地球上のどの地点に対しても平行光線であるから、地面に垂直に棒を立て、正午に棒の先とその影の先とを結んだ直線及び地面とのなす傾斜角を測定し、また棒を立てた場所と、赤道に近い井戸との直線距離を出来るだけ正確に測定することで、地球の周長を求めることができると。
 その結果、地球の周長は4万6200キロメートル(現代では4万100キロメートル)という極めて正確な数値を算出している。
(15) アルキメデス(前287〜212)
 *エウクレイデスの原論をさらに発展させ、球の体積はその球の外接する円柱の体積の三分の二であることを発見する。他に円周率πの値が3.141と3.142の間であることや、アルキメデスの螺旋など多数の功績を残している。
 *螺旋水揚器:内部にスクリュウが付いた機械を発明し、中心部にある棒を回転することにより低地の水を上地に移動するのに用いられた。
 *梃子の原理:全ての物体に重心の概念を適用し、均一な棒の一点を支点とし、両物体が釣り合ったとき、左側の物体の重心までの長さs、重さmとし、右側の物体の重心までの長さS,重さMである場合   M・s=m・S  を導きだす。
 *アルキメデスの原理:水で満たした容器に、ある物体を入れたとき、容器から溢れ出た水の総量の重さは、物体に働く浮力に等しいことを発見する。そこから比重(単位体積当りの物体の重さ)の概念を得る。
(16) アポロニウス(前260〜170)
 *円錐曲線論を著した。円錐を適当な傾きで切るとその切面が放物線、双曲線、楕円になることなどを説く。
 *天文学では、各惑星の運行が季節により逆行したり停滞する現象、及び大きさが増減する現象を、地球を中心とした同心天球説だけでは説明できず、周転円説を提案する。
 *周転円:地球を中心に各惑星は円軌道を運行するが、さらに円軌道上にある点を中心に小円を描いて運行するという考え。
 *地球と太陽の距離が遠方にあるときは遅く、近くにあるときは速く運行することを観測。また春分から夏至までの時間が、夏至から秋分までの時間より二日間くらい長い事実を説明するため、地球は各惑星の軌道の中心ではなく、季節により多少ずれるのだという、離心円説を提案する。
 *離心円:太陽は地球を中心として円運動をしているのではなく、地球から少しずれた点を中心として円運動をしているのであるという説。




(17) ヒッパルコス(前190〜120)
 *彼は、約1000に及ぶ恒星の位置に関し調べ、先人の観測値と自ら観測した値とを比較した結果、春分点と秋分点が徐々に位置を変えるという歳差現象を発見。
(18)ゲミノス(前50年頃)
 *ゲミノスはその当時まで蓄積された伝来的説には従わず、独自の解釈による対立的説を主張している。例えば恒星は同一の球面に置かれているのではなく、地球からの距離はそれぞれ異なっている。ただ我々にその違いを見分ける能力がないだけであるなど。
(19) プトレマイオス(後150年頃)
 *この時代においても、アリストテレスの命題<天体は神聖で、永遠的で、運動は一様にして円形でなければならない>は、不動の真理であった。しかし、当時の観測においても、二つの大きな不等が存在した。第一の不等は、惑星の運行には季節により逆行したり停留したり不規則であったこと。これは地球を宇宙の中心としているという誤った考えから生ずることが、現代ではよく知られている。
 又、第二の不等は、春分点から秋分点までの日数が約186日要するのにたいし、秋分点から春分点まで要する日数が約178日で、かなりの開きがあること。これは惑星の運行軌道が、円形ではなく楕円であるため生ずることが、現代では知られている。
 以上の不等を解決するため、アリストテレスの時代には、各惑星に対し複数の天球面を導入することを試みた。しかし、その精度は思わしいものではなかった。
   *プトレマイオスは上記の不等を解決するため、先人のアポロニウスなどの行った周天円と離心円の仮説を用いることになる。
 *第一の不等には、周転円を適用した。
 *第二の不等には、離心円を適用した。
 *観測値と計算値との相違に対しては、周天円上の一点を中心に二つ目の周天円を設け計算し直すことで解決していく。こうして彼は、計算と観測とをかなり正確に一致させることに成功した。
 *このようにして惑星の運行軌道の現象を、よく説明できる補助仮説が適用されるようになる。しかし観測精度が向上するにともない、理論と実測値を一致させる仮説は更に複雑化していく。

3,2 アリストテレスの宇宙観

 ギリシャ時代には多数の哲人が名を連ねているが、その中でもこの時代の最も代表的で、後の時代に大きな影響を残したアリストテレス(前384〜322)の思想を中心に振り返ってみることにしよう。
 彼は三段論法などを著わした論理学の生みの親として良く知られ、その他にも気象、天界、運動、生物、数学など多方面にわたりその才能を遺憾なく発揮し、現代でも通用する著述も少なくない。
 彼の卓越したとこは、これまで提唱され散在する多数の知識を寄せ集め、総括しただけに満足せず、相互の知識がある哲学的原理に基きどのように関連ずけられてるかを模索し、科学を統一的に体系化しようと試みたところにある。しかし星の運行(天動説)と物体の運動に関しては、大変な誤解をしていたのはよく知られた通りである。
 現代では地球が太陽の周りを回転していることは誰でも知っている。アリストテレスの時代にも既に太陽中心説は知られていた、にも関わらず彼は何故天動説に傾倒してしまったのか、又その後1000年以上にも亘る長い期間ヨーロッパやアラビア諸国では、この複雑な回転運動を殆んど疑うことなく、本気で反駁する者が僅かしか現れなかったのは何故だろうか。次にその説の堅固さの理由を考察して見ることにしよう。
(1) 天球について
 大地がまだ平坦で不動であると思われていた時代でも、天空に対してはいかなる星も回転運動する事実から、宇宙は球であることが認識されていた。又エジプト時代からの観測記録などから月、太陽、水星、金星、火星、木星、土星及びその他の星(恒星)との区別はされていた。そして初期の頃は全ての星は同一球面上を回転移動してるのであろうと考えられていた。
 しかし月や惑星などが天球を移動する際、重なりあった場合片方の星は一時的に消え、しばらくして反対側から現れることから各星は異なった球面を移動してるに違いないと思われるようになる。更に回転周期が異なることから最も早く回転する月は中心に最も近く、遅い土星は遠方を回転しており、宇宙は八個の同心球面からなるのではないかと言う知識に達する。但しこれだけでは、木星や土星に対する留や逆行などの複雑な運行を説明することは出来ない。
 この惑星の不均等な運行現象を理解するため、人々は更に複雑な同心球面を考え出す。エウドクソスは20個以上、アリストテレスは50個以上の球面を用いた。星の運行現象を説明するための機構は更に複雑化して行く。
 他方アリストテレスは円が簡素で美しく、始めも終わりもない完全性を持つことから、天は球形でなければならないと言った。そして宇宙が球形であるならその中心があるはずで、地球の中心こそ宇宙の中心であるという天動説を主張する。
 その後、紀元後2世紀になってプトレマイオスが周転円(大円の円周に中心を持つ小円)や離心円なる機構を用いることで、ほぼ正確に星の運行を説明するに至る。これにより天動説は不動なものとなる。
(2)4元素説
 木が燃えると煙が出て灰に変化する。石は砕けて砂に成るなどの物質変化を、一般の人々は実在する物質は、発生と消滅を繰り返すため存在すると理解していた。
 万物が何故存在するかと言う疑問に関しては大きく二つの説に分かれる。一つは原子論者と呼ばれるレウキッポスやデモクリトスが提唱する。万物は始めもなく終わりもない、何ものによっても創造されたのではない。そもそも在ったものも、在るものも、在るであろうものも、必然に基ずいて在るのであると言う。
 宇宙はこれ以上分割できない一種類の微分子(原子)が無数に存在し、万物の存在と変化はこの原子が結合と分離を複雑に繰り返す過程であり、そのため事物の多様性が生ずる。原子は永久的に在るもので、無から生ずるものはなく、何ものも無に帰すことはない。そしてこの原子が移動するためには空虚な空間が無くてはならず、故に空間に在る要素は原子と空虚のみである。
 原子は無限空間にわたって運動しており、互いに衝突し、そこから渦動が生ずる。その原子の渦動の結果夜空に輝く天体が生まれたのである。
 一方、万物は無限分割出来ない四つの元素、水、火、土、空気より構成されているというエンペドクレスの四元素説もある。
 アリストテレスはこの四元素説を更に発展していく。彼はデモクリトスの空虚を否定し、正12面体をした第五の元素が存在し、その元素をアイテールと呼んだ。このアイテールが後の光を伝播するエーテルへと発展する。そして宇宙には空虚は無く、四元素とアイテールにより満たされており、全ての星はアイテールより創造されたのであると言う。ただし彼は、四元素は各々無限分割可能と考えていた。
(3) 大地は球である 
 大地は円盤であるという印象から抜け出すには長い歳月を必要とした。タレス(前600年頃)の時代には大地は円盤であると思われていた。アリストテレスの時代には、船が陸地から遠方に離れるに従い徐々に帆先が見えなくなることや、月に映る地球の影が湾曲してることなどから、大地は平坦ではなく球形であることが知られていた。彼は地球が球形であることを正しく理解している。そこで誰もがいだく問題が生ずる。地球の反対側(下方)の人や物は何故大地から落下しないのだろう。
(4)運動と力の原理 
 石を上に投げると必ず落ちてくる、煙は落ちずに上昇して行く。雲は形を変え又同じ場所に戻ることがない、惑星や恒星は周期的に同じ場所を運行する。このような自然現象に対しアリストテレスは、物体の運動に関し次のような捉え方をしていた。
@ 直線運動と円運動 
 物体の運動には、限界のある直線運動と限界の無い円運動とがあり、直線運動は中心に向かい落下する物、煙のように中心から上昇する物とがあり、そこから重力、軽力の概念がでてくる。円運動は始めも終わりも無く完全であり天体の運行がこれにあたるとした。
A 二つの宇宙原理
 月より上のものは神聖であり、円運動により永久不変である。下のものは直線運動により始めと終わりがあり可変である。故に、月より上の世界と下の世界とでは、異なった宇宙原理、法則が存在し、それに従うのだと主張する。又、円運動が先であり、直線運動が後であるとも言っている。
この考えは、量子の世界と通常の世界とが異なった原理、法則があるとする、現代科学と驚くほどよく似ている。
B 物体は本来在る場所に落ち着く
 その物体の持つ重さ、軽さによりその物体の本来在る位置が定められている。重い物体ほど宇宙の中心(地球の中心)に近く、軽い物体ほど上方にある。本来ある場所まで落下、上昇を続けた後本来あるその位置で停止する。この現象を自然的な運動としてとらえている。この原理から地球の裏側の人が、何故落下しないかの理由を説明できる。
 (注:しかし現代ではこの解釈が誤りで、その答えはニュートンの重力の法則であることを誰でも理解している。このようにギリシャ時代に於いては相当数の暗箱(ブラックボックス)が存在していた為、誤った理論が正当化されていた。現代科学にも当てはまりそうである。)
C 重い物体ほど速く落下する 
 物体には重力と軽力とがあるという概念から、物体は重量に比例して速い速度で落下するはずであると言う結論が導きだせる。アリストテレスはこの結論から、10Kgの石は1Kgの石より10倍早く地面に達すると言っている。
D 物体に力を加えると動く 
 落下運動とは異なり横方向への運動に関しては、強制力と考えられていた。そして強制によって移動する物体はいつでも益々遅くなる、と述べているにとどまる。この時代の人々は慣性の概念に対し、はっきりした考えを持っていなかったようである。
E 物体の速さが増すほど重さもます
 物体を落下した際その速度が距離に比例し増す加速運動に関しては、物体を手から離すと本来ある場所に移動するため速度を増す、速度が増すと重さも増す、重さが増すと速度も増す、その繰り返しの結果速度は増していく。落下運動におけるより大きな速度は、より大きな重さを意味する。
(注:ガリレオは速度を増しても質量は増加しないことを立証し、この説を覆している。しかし現代の相対性理論では、再び速度が増すと質量が増すとしており、アリストテレスと同じことを述べている。)
(5)地球は自転してない 
 星が運行する現象に対し、天が回転しているのか、地球が回転しているのか、この時代に於いては一大関心事であった。地球が自転してないとすると、24時間で天球を回転する星の速度は想像できない速さとなり、そんなことはあり得ないと思う人々は地球の自転説を主張する。しかしこの説は次に記す理由により、殆んど受け入れられなかった。
@ もし地球が自転しているとすると、大地は凄い速さで移動することになり、固定されてない岩石や動物はその速さのため、空中に舞い上がってしまうはずである。それは明らかに我々の経験に反している。
A 石を高く真上に投げ上げた時、その石は投げ上げた同じ場所に落下してくる。もし地球が自転していたら、後方に落下するはずである。  アリストテレスも地球は不動であり自転してない説を主張する。
(6)地動説の始め
 地球が動いているという概念を始めて持ち出したのは、ピュタゴラス学派のフィロラオスと言われている。彼は宇宙の中心には中心火があり、地球も太陽もその他すべての星がその周りを回転している、としている。その後この思想を更に発展させ、太陽中心の宇宙体系を主張したのがアリスタルコスである。彼は古代のこの時代に於いて、現代知られている太陽中心的世界観に達していた。更に彼は、地球が24時間で一回自転すること、太陽の周りを一年で一回転することも明確に理解していた。
 しかし残念ながら、落体運動が地球のいかなる場所でも中心に向かって動くこと、及び固定されてない物体が宙に舞い上がらない理由を持ち合わせてなかったようである。従って当時の常識からみて、彼の太陽中心説は不利な証拠が多く、あまり受け入れられることがなかった。
(7)天動説 
 古代ギリシャ時代には、以上述べたような多数の思想が渦巻いていた。アリストテレスはこれ等多くの知識を総合的に判断し、次のような結論に導いていく。
@ 天界が球で、大地も球であることは正しい。故に星の運行は完全な円軌道を描く。
A 全ての物体は、本来もつ位置に落ち着く。重い物ほど宇宙の中心に向かい軽いものほど上方に向かう。
B 地球上のいかなる地点でも物体は地球の中心に向かって落下する事実から、宇宙の中心が地球の中心と一致しているという説は、極めて合理的で我々の理性を満たす。即ち、重いものは宇宙の中心に向かい、軽いものは上方に向かうという観測事実と合致する。
C 地球が動いてたり自転していれば、大地は猛烈な速さで動くことになり、その結果強風が常時吹きつけるはずである。しかし現実にはそのような現象は無いので、地球は静止している。
D 星の運行に対しては、各星に対し複数の同心球面を構想することで、解決できると考えた。しかしアリストテレスは、星の運行を正確に予測出来る球面を考え付くことが出来なかった。その後数世紀にかけ多くの哲学者が、この問題に取り組む。そしてプトレマイオスが‘周転円‘と言う大変巧妙で手の込んだ解決策を作り上げる。この運行モデルは非常に複雑ではあったが、殆んど正確に星の運行予測を可能にした。そのことにより天動説は不動のものとなる。

3,3 天動説の陥落 

 アリストテレスの時代における宇宙観は、地球が宇宙の中心で自転してないという説、地球が中心で自転してるとする説、宇宙の中心は別にあり、地球を含めたすべての星がその中心を回転しているのだという説、太陽が中心でその周りを全ての星が回転してるのだという説などが混在し、その真偽の判断を下せる能力の在る者は殆んど居なかったようである。そのためアリストテレスの天動説を覆す事の出来る者が、2000年にもわたって現れてこなかった。それにしてもアリスタルコスが、当時の支配的理論に動揺されず、他の哲学者に比べ、かなり真理に近く正しい認識に達していたことに驚かされる。
 そして時は流れ、十五世紀になりニコラウス・コペルニクス(1473〜)が、アリスタルコスの太陽中心モデルを新しく作り替え「天球の回転について」なる書物を著わす。しかしコペルニクスも、星の運行軌道は完全円であるという古代からの信念を捨てることはなかったため、精密な運行予測を計算することは出来なかった。
   十七世紀に入り、ケプラー(1571〜1630)はテイコに認められ、彼の集めた厖大な観測資料を手にすることになる。そこからケプラーは、これまで1000年以上にもわたり殆んど公理とされていた完全な円運動を否定し、星の運行は楕円軌道を描くことを宣言する。これは既定概念を一転した素晴らしい快挙と言ってよい。そしてよく知られた「ケプラーの法則」に到達する。
 このような様々な観測事実からアリストテルスの堅固な宇宙観も少しずつ剥がされて行く。そしてケプラーと同時代のガリレオ・ガリレイは前記したように、船の帆柱からの落体実験、物体を水平方向に投げた際の放物線運動などから「慣性の法則」を証明した。この法則により地球が高速で動いたり、自転しても物体が上空に舞い上がったり、落下物体が後方に落ちることがないことが明らかとなってくる。更に当時望遠鏡が発明され、星の運行や月、太陽などの表面がより繊細に観測可能となる。月には山や谷などもあり地球によく似た天体をしてること、木星を中心として4個の小天体が回転していること、太陽の黒点の運動から太陽も自転してる事などを観測し、天界も地上界と同様不動でないことが明らかとなって来る。
 このようにして、アリストテレスの主張する地球中心説や運動と力の原理はことごとく崩壊して行く。しかし地球が宇宙の中心でないとすると、何故地球の裏側の物体は宇宙の中心に向かって落下しないのかという根強い疑問は依然として残ったままである。その解明にはニュートンの登場を待つことになる。

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